久しく電車に乗っていない。今日は電車に乗って川越の病院へ。(哲




2010ソスN11ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 25112010

 偵察衛星大根が煮くずれる

                           櫻木美保子

近、探査機「はやぶさ」が小惑星に着陸し採集した物質を持ち帰り話題になった。掲句では煮くずれる「大根」と「偵察衛星」という摩訶不思議な取り合わせだけど、その飛躍の大きさに何となく惹かれる。なぜ作者は煮くずれる大根を見て偵察衛星に考えがいたったのだろう。「偵察衛星」だから「はやぶさ」のように未知の世界に出かけるのではなく、地球の周りを回りながら、こっそりとある場所の映像を送り続けているのだろう。その地表のイメージを煮崩れる大根に重ねているのか。作者の胸の内は想像するしかないけど、大根をことこと煮込む時間と地球を廻り続ける衛星の単調な時間が重なりあったのだろう。台所にある日常が不穏さを持った別の世界へ引き延ばされる感じがする。『だんだん』(2010)所収。(三宅やよい)


November 24112010

 たくさんの犬埋めて山眠るなり

                           川上弘美

季折々の山を表現する季語として、春=山笑ふ、夏=山滴る、秋=山粧ふ、そして冬は「山眠る」がある。「季語はおみごと!」と言うしかない。冬になって雪が降ると♪犬はよろこび庭かけまわる……と歌われてきたけれど、犬だって寒さは苦手である。(冬には近年、暖かそうなコートを着て散歩している犬が目立つ。)ところで、「たくさんの犬埋めて」ってどういうことなのか? 犬の集団冬ごもり? 犬の集団自決? 犬の墓地? 悪辣非情な野犬狩り? 犬好きな人が熱にうなされて見た夢? で、埋めたのは何者? ーーまあまあ、ケチな妄想はやめよう。句集を読みながら、私はこの句の前でしばし足を止め、ほくそ笑んでしまった。だから俳句/文学はおもしろい。たくさんの犬を埋めるなんて、蛇を踏む以上に愉快でゾクゾクするではないか。しかも、山は笑っているわけでも、粧っているわけでもなく、何も知らぬげに静かに眠って春を待っているのだ。あれほど元気に走りまわり、うるさく吠えていた犬たちもたわいなく眠りこんでいるらしい。だからと言って、殺伐として陰惨という句ではなく、むしろ明るくユーモラスでさえある。句集全体が明るく屈託ない。そして犬たちは機嫌よく眠っているようだ。弘美さんは犬好きなのだろう。この待望の第一句集十五章のうち、三つの章を除いた各章の扉絵(福島金一郎)に犬が描かれているくらいだもの。犬を詠んだ句も目立つけれど、「はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く」なんて、ふわりとしていて好きな句だなあ。よく知られた傑作「はつきりしない人ね茄子投げるわよ」も引いておこう。句集『機嫌のいい犬』(2010)所収。(八木忠栄)


November 23112010

 襟巻のうしろは闇の中なりし

                           高倉和子

ード付きのコートを脱いで、なんの気なしにハンガーに掛けようとしたとき、うしろに垂らしたフードからふわっと冷たい空気が流れてきて驚いたことがあった。襟元をかき合わせたり、火があれば手をかざしたり、なにかにつけいたわっている身体の前面と違い、冷気にさらされ放題の背面の存在を意識させたできごとだった。わが身の背後に放り出され、しんしんと冷えていたもの。襟巻きでも同様だろう。首という身体のどこよりも華奢なところに巻き付けるものであるだけに、その先が無防備に闇の中に放り出されている図は、なんともあやうくあぶなっかしい。掲句の「うしろ」とは、単なる場所を意味するだけでなく、背後に広がる空間という不安の象徴としても存在する。暗がりのなかでずっと揺れ続けていたと思うと、その冷えきった襟巻きの尻尾の部分がやけにさみしく、また愛おしく思えるのだった。〈ふるさとに居れば娘や福寿草〉〈汀長し胸より乾く海水着〉『夜のプール』(2010)所収。(土肥あき子)




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