天気も良さそうだし体調も回復。半月ぶりに写真を撮りに行こう。(哲




2010ソスN11ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 23112010

 襟巻のうしろは闇の中なりし

                           高倉和子

ード付きのコートを脱いで、なんの気なしにハンガーに掛けようとしたとき、うしろに垂らしたフードからふわっと冷たい空気が流れてきて驚いたことがあった。襟元をかき合わせたり、火があれば手をかざしたり、なにかにつけいたわっている身体の前面と違い、冷気にさらされ放題の背面の存在を意識させたできごとだった。わが身の背後に放り出され、しんしんと冷えていたもの。襟巻きでも同様だろう。首という身体のどこよりも華奢なところに巻き付けるものであるだけに、その先が無防備に闇の中に放り出されている図は、なんともあやうくあぶなっかしい。掲句の「うしろ」とは、単なる場所を意味するだけでなく、背後に広がる空間という不安の象徴としても存在する。暗がりのなかでずっと揺れ続けていたと思うと、その冷えきった襟巻きの尻尾の部分がやけにさみしく、また愛おしく思えるのだった。〈ふるさとに居れば娘や福寿草〉〈汀長し胸より乾く海水着〉『夜のプール』(2010)所収。(土肥あき子)


November 22112010

 オリオンや眼鏡のそばに人眠る

                           山口優夢

リオンは冬になると際立つ星座だから、季語「冬の星」に分類する。何の変哲もない情景を詠んでいるのだが、構図の取り方の巧みさが、情景に深い感情を添えている。単に枕元あたりに眼鏡を置いて眠っている人の様子なのだが、掲句では眼鏡をクローズアップすることによって、寝ている人がいかにも小さく思われるし、そのちっぽけな存在が天空のオリオン座に照らしてますます小さく見えてくる。そして、この存在の小ささが、この人へのいとおしさを呼び覚まし、ひいては人間存在一般へのそれを思わせてくれる。三好達治の二行詩「雪」(太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ……)に通じる世界と言ってよかろうが、三好よりも構図にひねりを効かせたところが作者の発見であり、その才能の並みでないところでもあるだろう。構図取りにあまり凝りすぎるとあざとくなりがちなものだけれど、それを少しも感じさせないさりげない詠み方に好感を持った。「週刊俳句」(2010年11月21日付)所載。(清水哲男)


November 21112010

 柔道着で歩む四五人神田に冬

                           草間時彦

とさら作者のことを調べなくても、句を読んでいれば、草間さんはサラリーマンをしていたのだろうなということが想像されます。俳人にしろ、詩人にしろ、作品からその人のことが思い浮かべられる場合と、そうでない場合があります。つまり、作品を人生に添わせている人と、引き離している人の2種類。もちろんどちらがいいとか悪いとかの問題ではなく、でも、僕は年をとってくるにつれ、前者の作品に心が動かされる場合が多くなってきたように感じます。本日の句は、まさに俳句でしか作品になりえない内容になっています。神田という地名から、やはり柔道着を着ているのは大学生なのかなと、感じます。ランニング練習のあとで、ほっとして校舎にもどる途中ででもあるのでしょうか。四五人分の汗のにおいと呼吸の白い色が、すぐそばに感じられる、そんな句になっています。『合本 俳句歳時記 第三版』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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