欧米サイトのクリスマス色が濃くなって、今年もあと一ヶ月半。(哲




2010ソスN11ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 14112010

 先生ありがとうございました冬日ひとつ

                           池田澄子

時記を読んでいて、必ず立ち止まってしまう俳人が何人かいます。池田さんもそのうちの一人。前後に並ぶ句とは、いつもどこかが違う。どうして池田さんの句は、特別に見えるんだろうと、考えてしまいます。ところで僕は、必要があってこのところ「まど・みちお」の童謡や詩をずっと読んでいますが、まどさんの詩も、なぜかほかの詩人とは違う出来上がり方なのです。わかりやすい表現に徹している俳人や詩人はほかにいくらでもいます。でも、問題はそんなところにはありません。池田さんやまどさんは、余計な理屈や理論などで武装する必要もなく、表現の先端がじかに真理に触れることができる、そんな能力を持ち合わせているのかなと、思うわけです。特別なのは、だから句の出来上がり方だけではなくて、句に向かう姿勢そのものなのです。あたたかな冬の日に、ありがとうと素直に言えるこころざしって、だれもが感じることができるのに、なかなかこうしてまっすぐに表すことは、できません。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


November 13112010

 朴落葉いま銀となりうらがへる

                           山口青邨

しいとはこのことか、という朴落葉を先日初めて見た。冬近い山湖のほとりで、それは落葉というよりまるで打ち上げられた魚の大群のようで、明らかに生気のない白さでことごとく裏返っていた。見上げた朴の大木には、今にも落ちてきそうな葉が揺れているのだが、どれもまだ枯れ色の混ざった黄色で、ところどころ緑が残っている。じっと見るうち、そのうちの一枚がふっと木を離れ、かさりと落葉に重なった。手にとってみると、その葉の裏はもう白くなりかけている。雨の後だったので、どの落葉も山気を含んで石のような色をしていたが、からっと晴れていたら、この句のように銀色に光るだろう。落葉になる一瞬、静かに舞うさま、落ちてなお冬日に耀く姿をゆっくり見せながら、いま、の一語が朴落葉に鮮やかな存在感を与えている。『俳句歳時記 第四版 冬』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


November 12112010

 墓碑銘を市民酒場にかつぎこむ

                           佐藤鬼房

季の句。昭和二十六年刊行の句集に収録の作品だから、まだまだ戦後の混沌と新しい社会への希望が渦巻いていた頃。墓碑銘を市民酒場にかつぎこむイメージは、市民革命への希求がロシア革命への憧憬を根っこに持っていた証だ。強くやさしい正義の赤軍と悪の権化の独裁との闘い。この頃の歌声喫茶で唄われたロシア民謡。赤提灯を市民酒場と呼び、卒塔婆を墓碑銘と呼ぶモダニズムの中に作者の青春性も存した。60年を経て、プロレタリア独裁も搾取も死語となった今どういう理想を僕らは描くのか。どういうお手本を僕らは掲げるのか。或いはそんなものは無いと言い放つのか。『名もなき日夜』(1951)所収。(今井 聖)




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