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2010ソスN11ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 12112010

 墓碑銘を市民酒場にかつぎこむ

                           佐藤鬼房

季の句。昭和二十六年刊行の句集に収録の作品だから、まだまだ戦後の混沌と新しい社会への希望が渦巻いていた頃。墓碑銘を市民酒場にかつぎこむイメージは、市民革命への希求がロシア革命への憧憬を根っこに持っていた証だ。強くやさしい正義の赤軍と悪の権化の独裁との闘い。この頃の歌声喫茶で唄われたロシア民謡。赤提灯を市民酒場と呼び、卒塔婆を墓碑銘と呼ぶモダニズムの中に作者の青春性も存した。60年を経て、プロレタリア独裁も搾取も死語となった今どういう理想を僕らは描くのか。どういうお手本を僕らは掲げるのか。或いはそんなものは無いと言い放つのか。『名もなき日夜』(1951)所収。(今井 聖)


November 11112010

 前山を見る寄鍋のうれしさで

                           栗林千津

本気象協会によると「鍋指数」というものがあり、空気が乾き寒くなるほど鍋指数は上がるという。これから鍋のお世話になる夜が増えるだろう。この頃はキムチ鍋からトマト鍋、豆乳鍋など様々なスープがスーパーの棚に並んでいる。寄鍋は昔ながらの定番メニューだけど、鍋を前にしたうれしさが、どうして山を見る心の弾みにつながるのだろう。鍋は覗き込むものだから、掲句の場合高い場所から山々を見下ろしているのかもしれない。山は一つではなくいくつか峰が連なっていて、山あり谷ありぎゅっと押し合いながら眼前に広がる様子が寄鍋らしくていいかもしれない。ただ単に「前山」という山を指しているのかもしれないが、山を見る嬉しさが。寄鍋を囲む楽しさや健康な食欲にすっと結びつくところがこの句の面白さだと思う。『栗林千津句集』(1992)所収。(三宅やよい)


November 10112010

 たそがれてなまめく菊のけはひかな

                           宮澤賢治

と言えば、競馬ファンが一喜一憂した「菊花賞」が10月24日に京都で開催された。また、今月中旬・下旬あたりまで各地で菊花展・菊人形展が開催されている。菊は色も香も抜群で、秋を代表する花である。食用菊の食感も私は大好きだ。いつか今の時季に山形へ行ったら、酒のお通しとしてどこでも菊のおひたしを出されたのには感激した。たそがれどきゆえ、菊の姿は定かではないけれど、その香りで所在がわかるのだ。姿が定かではないからこそ「なまめく」ととらえられ、「けはひ」と表現された。賢治の他の詩にもエロスを読みとることはできるけれど、この「なまめく」という表現は、彼の世界として意外な感じがしてしまう。たしかに菊の香は大仰なものではないし、派手にあたりを睥睨するわけでもない。しかし、その香がもつ気品は人をしっかりとらえてしまう。そこには「たそがれ」という微妙な時間帯が作用しているように思われる。賢治の詩には「私が去年から病やうやく癒え/朝顔を作り菊を作れば/あの子もいつしよに水をやり」(〔この夜半おどろきさめ〕)というフレーズがあるし、土地柄、菊は身近な花だったと思われる。賢治には俳句は少ないが、菊を詠んだ句は他に「水霜のかげろふとなる今日の菊」がある。橋本多佳子にはよく知られた「菊白く死の髪豊かなるかなし」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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