年間回顧アンケート。今年なのか昨年だったか、忘れたこと多し。(哲




2010ソスN11ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 05112010

 龍の玉独りよがりは生き生きと

                           瀧澤宏司

の玉のあの小さな美しい紫の玉に独りよがりの生き方を喩えている。或いは龍の玉で深い切れを想定するなら、龍の玉の前で、そこにいる「私」や人間の独りよがりの生き方を思っている。どちらにしてもここには独りよがりということに対する肯定がある。俳句に自分にしか感じ得ない、自分にしか見えない何事かを表現するという態度こそ表現者の態度だというと、時に、私はそこまで俳句に期待しませんという反応が返ってくる。俳句は誰のものでもないのだからいろいろな考え方があっていい。みんなが感じたのと同じことを感じるという安堵感を表現したいひとには類型感など取るに足らぬ問題だろう。自分だけのものを得ようとする創作は荒野に独り踏み出すようなものでそこに歓喜も絶望も存する。この句の作者はその両者を知ってしまった人だ。『諠(よしみ)』(2010)所収。(今井 聖)


November 04112010

 怖い漫画朝の蒲団の中にあり

                           小久保佳世子

のむかし楳図かずおの「蛇女」やつのだじろうの「うしろの百太郎」が怖かった。漫画の中の怖いシーンが頭に浮かぶとトイレに行くのも腰が引けて、ガラス戸にうつる自分に驚く情けないありさまだった。部屋の隅に誰かがいそうな気がして蒲団にもぐり込むのに、その中に怖い漫画があったらますます逃げ場がなくなりそうだ。冬の蒲団は暖かくて、包まれていると何ともいえない安心感があるが、怖い漫画があるだけで冷え切ったものになりそう。それにしても、なぜ「朝の蒲団」なのだろう。夜読むのが恐いから朝方読んでいたということだろうか?お化けと言えば夏だけど、「怖い漫画」と蒲団の取り合わせに遥かむかしに忘れてしまった出来事をまざまざと思い出した。しかし、そんなことが俳句になるなんて! 恐れ入りました。『アングル』(2010)所収。(三宅やよい)


November 03112010

 一筋に生きてよき顔文化の日

                           小森白芒子

日は文化の日。明治天皇の誕生日であり、もともと「天長節」とされ、「明治節」と定められていたが、戦後になってから「文化の日」と改められた。「自由と平和を愛し、文化を進める日」とされる。自由も平和も文化立国も掛け声はともかく、ご存じの通り現状はきわめてお粗末というか困難が継続している。毎年恒例、新聞に大きく文化勲章受章者の記念写真が載るのを、私などはずっと遠い出来事として眺めてきた。今年の受章者は蜷川幸雄ら七名。昨年は桂米朝が受章者の一人だった。一昨年は古橋広之進や田辺聖子ら。それ以前には、受章を辞退したノーベル賞作家や大物女優がいた。もちろん勲章だけが文化の日ではない。かたちだけでなくて、魂の入った文化を育てないことには文化立国が泣く。さて、掲句。喜びを秘めた受勲者の記念写真を詠んだ句ととらえればムム彼らはみな「この道一筋」に生きてきた人たちであり、敬服に値するだろう。安っぽい笑顔ではなく、長年月培われてきた「よき顔」であるにちがいない。いや、叙勲とは関係なしととらえれば、さりげなく巷におられて、「この道一筋」に生きてきた職人とか、おじいさんやおばあさんのことを詠っているようにも思われる。本当はそうなのかもしれない。日頃は厳しいおじいちゃんの顔も、文化の日には特別輝いて「よき顔」に見えるのだろう。見る側の「よき心」だけが「よき顔」を発見できる。平井照敏編『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)




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