午後から文月悠光さんとのトークイベント。台風かも。(哲




2010ソスN10ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 30102010

 水に生ふものの最も末枯れる

                           桑田永子

枯(うらがれ)も俳句を始めて知った言葉のひとつだ。いつだったか俳句の中に「葉先」という言葉を使った時「葉の先の方と言いたかったら、葉末、という言い方もありますよ」と言われ、なるほどと思った記憶がある。いっそ枯れきってしまえば、冬日の中に明るさを感じることもあるけれど、この時期の草の、青さを残しつつ枯れ始める様はうらさびしい。以前「水辺の草が一番早く枯れ始める」という意味合いの句を見たような記憶がある。この句も詠んでいる事柄は同じだけれど、最も、という言葉の強さと、末枯れる、という口語のちょっと突き放したような終わり方が、惜しむ間もほとんど無いまま寒くなった今年の秋を思わせる。『遺句集「来し方」その後』(2010)所収。(今井肖子)


October 29102010

 狩の犬魔王の森を出できたる

                           依田明倫

王は仏教でいう天魔か。シューベルトの歌曲の名か。あるいは悪魔の王という字義どおりか。狩が出てくるから歌曲にある洋風の風景が根幹にあるのか。僕など森と聞くだけで日本的な風景とは異質なものを感じる。鎮守の森だってあるのに。日本にふさわしいのは林だろう。森と林では木が一本違う。作者は北海道在住だからこんなスケールの大きな自然が詠めるのだろう。魔王の森のスケールも見てみたいが、地平線も見たことがない。砂漠も見たことがない。いつか見てみたい。「俳句朝日」2003年10月号所載。(今井 聖)


October 28102010

 病院の廊下の果てに夜の岬

                           澤 好摩

い先日、病院の廊下に置かれた長椅子に座って順番待ちをしていたら、忘れていた記憶が次々とめぐってきた。思えば何人もの近親者を病院で見送っている。自分自身の入院もそうだけど、病院にいい思い出はない。朝の検温から始まって、抑揚のない一日が過ぎ、早い夕食が終わるとあっという間に消灯時間になってしまう。横たわって天井を見るしかない病人に長い長い夜が始まる。夏であろうと冬であろうと一定の温度に管理された空調と白い壁に閉ざされた病院に季節はない。暗い蛍光灯に照らしだされた廊下の果てには真っ暗な夜が嵌めこまれた窓がある。外へ出てゆくのも儘ならぬ身体で歩いてゆけば廊下は岬のように夜に突き出してゆくのかもしれぬ。季語のないこの句には「病院」が抱える時間と空間が濃密に感じられる。日常の世界と違う病院の内部を貫く廊下の延長線上に岬を想う感覚の鋭さが病院にいる不安と孤独を際立たせるのだ。『澤好摩句集』(2009)所収。(三宅やよい)




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