来週の土曜日(30日)、文月悠光さんと神田東京堂書店でトーク。(哲




2010N1023句(前日までの二句を含む)

October 23102010

 やゝ寒く人に心を読まれたる

                           山内山彦

や寒、うそ寒。いずれも晩秋の寒さなのでふるえるほどではないのだが、うそ寒の方が心情が濃い気がする。だからこそ、心を読まれたと感じた時の不意打ちにあったようなかすかなたじろぎと、やゝ寒という、あ、ひんやりという感じを心情をこめずに言っている言葉が呼び合うのだろう。これがうそ寒であったら、心持ちそのものがどこかうすら寒いということで、あたりまえな話になってしまいそうだ。思ったことがすぐ顔や態度に出るわかりやすいタイプは他人の心の中はあまりよくわからず、逆にいつも飄々として何を考えているかわからない人ほど、相手の考えていることを読めたりする。作者はきっと後者なのだろう。『春暉』(1997)所収。(今井肖子)


October 22102010

 不思議なり生れた家で今日の月

                           小林一茶

泊四十年と前書あり。木と紙で出来た建物でも数百年は持つ。神社仏閣のみならず民家でもそのくらいの歴史ある建物は日本でも珍しくないのだろうが、映像でヨーロッパの街などで千年以上前の建物があらわれてそこにまだ人が住んでいるのを見ると時間というものの不思議さが思われる。僕自身も子供のころから各地を転々としたので、ときにはかつて住んでいた場所を訪ねてみたりするのだが、生家はもとよりおおかたはまったく痕跡すらないくらいに変化している。その中で小学生の頃住んだ鳥取市の家に行ってみたとき、そこがほぼそのまま残って人が住んでいたのには驚いた。家の前に立って間取りや階段の位置などを思い起してみた。二階から見えた大きな月の記憶なども。まだ妹は生まれてなくて三人暮し。その父も母ももうこの世にいない。『一茶秀句』(1964)所載。(今井 聖)


October 21102010

 とうさんの決して沸騰しない水

                           久保田紺

うさんの中にある水って何だろう。とうさんをこう定義しているぐらいだから、かあさんにも、ねえさんの内部にも水はあって、それはぐらぐらと沸騰したり、体内を忙しく駆け巡ったり、身の裡から溢れだしたりするのかもしれない。川柳は前句付から発展した詩型だから、発想の手掛かりとなる題がどこかに隠されているのだろう。その隠されたものを読み手が自分に惹きつけてあれこれと考えをめぐらすのが、句を読み解くことにつながるように思う。俳句は句を味わう、とよく言うが題ならずとも求心力として季語の存在は大きい。鑑賞においても川柳と俳句では違いがある。この句の場合、隠されているのは「かなしみ」や「怒り」といった感情や「死」や「離別」など人生で否応なく遭遇する事件へのとうさんの反応かもしれない。沸騰しないかわりに沈黙の咽喉元へ水はせりあがってきているのだ。同じ17音の韻律ではあるが、川柳は俳句とは違う言葉の働かせ方を見せてくれる。『銀色の楽園』(2008)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます