中秋の名月。東京は晴れのち曇りという予報だ。うーむ。(哲




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September 2292010

 山径にあけび喰うて秋深し

                           白鳥省吾

けびは「通草」「木通」と書き、秋の季語だから掲句は季重なりということになる。まあ、そんなことはともかく、ペットボトルの携行など考えられなかった時代、旅先であろうか、山径でたまたま見つけたあけびをもぎとって食べ、乾いたのどを潤したのであろう。その喜び、安堵感。「喰(くろ)うて」という無造作な行為・表現が、その様子を伝えている。喰うて一服しながら、今さらのように秋色の深さを増してきている山径で、感慨を覚えているのかもしれない。自生のあけびを見つけたり、なかば裂開しておいしそうに熟した果肉を食べた経験のある人は、今や少なくなっているだろう。子どもの頃、表皮がまだ紫色に熟していないあけびを裏山からもぎ取ってきて、よく米櫃の米のなかにつっこんでおいた。しばらくして食べごろになるのだった。白くて甘い胎座に黒くて小粒の種が埋まっている。あっさりした素朴な甘い味わいと、珍しい山の幸がうれしかった。種からは油をとるし、表皮は天ぷら、肉詰め、漬物にしたりして山菜料理として味わうことができる。蔓は生薬にしたり、乾燥させて篭などの工芸品として利用されるなど、使いみちは広い。あけびは山形県が圧倒的生産量を誇るようだが、同地方では、彼岸には先祖の霊が「あけびの舟」にのって帰ってくる――という可愛い言い伝えもあって、あけびを先祖に供える風習があったとか。飯田龍太に「夕空の一角かつと通草熟れ」の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 2192010

 鹿の眼の押し寄せてくる月の柵

                           和田順子

日の夜が十五夜で仲秋の名月。そして満月は明後日。十五夜が満月と限らないのは、新月から満月までの平均日数は約14.76日であるため、15日ずつでカウントする旧暦では若干のずれが生じることによる。理屈では分かっていても、どことなく帳尻が合わないような気持ち悪さがあるのだが、来年2011年から2013年の間は十五夜と月齢満月が一致するというので、どんなにほっとしてこの日を迎えられることだろう。掲句は前書に「夜の動物園」とある。光る目が闇を漂いながら迫ってくる様子は、鹿の持つ愛らしい雰囲気を拒絶した恐怖でしかないだろう。浮遊する光りは、生きものの命そのものでありながら、異界への手招きのようにも見え、無性に胸を騒がせる。安全な動物園のなかとはいえ、月の光りのなかで、あちらこちらの檻のなかで猛獣の目が光っているかと思うと、人間の弱々しく、むきだしの存在に愕然と立ちすくむのだ。タイトルの『黄雀風(こうじゃくふう)』とは陰暦五、六月に吹く風。この風が吹くと海の魚が地上の黄雀(雀の子)になるという中国の伝承による。〈波消に人登りをり黄雀風〉〈海牛をいふけつたいを春の磯〉『黄雀風』(2010)所収。(土肥あき子)


September 2092010

 敬老の日のどの席に座らうか

                           吉田松籟

をとるまでは気がつかなかったが、世の中にはあちこちに高齢者のための配慮が見られる。運動会などでも敬老席があったりする。なかでいちばんポピュラーなのは電車やバスのシルバー・シートだろう。句の作者がどういう場所にいるのかはわからないけれど、どこにいるにせよ、こういう戸惑いの気持ちは理解できる。還暦を過ぎたころからはじまる戸惑いである。それくらいの年齢になると、自分では若いと思っていても、客観的にはどう見えるのかがよくわからない。わからないから、いつも「どの席に座らうか」と迷ってしまう。電車に乗ってもシルバー・シートに座るべきなのか、それとも一般席に座ればよいのかと、余計な心配をする羽目になる。一般席に座ればその分だけ若い人の席が減るわけだし、かといってシルバーに坐るのは図々しく思われるかもしれない。このようになんとも悩ましい期間が、誰にも数年はつづくのだ。そんな年齢の心情をさらりと巧くとらえている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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