私が就職した頃は連休も少なかったし土曜も休みではなかった。(哲




2010ソスN9ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2092010

 敬老の日のどの席に座らうか

                           吉田松籟

をとるまでは気がつかなかったが、世の中にはあちこちに高齢者のための配慮が見られる。運動会などでも敬老席があったりする。なかでいちばんポピュラーなのは電車やバスのシルバー・シートだろう。句の作者がどういう場所にいるのかはわからないけれど、どこにいるにせよ、こういう戸惑いの気持ちは理解できる。還暦を過ぎたころからはじまる戸惑いである。それくらいの年齢になると、自分では若いと思っていても、客観的にはどう見えるのかがよくわからない。わからないから、いつも「どの席に座らうか」と迷ってしまう。電車に乗ってもシルバー・シートに座るべきなのか、それとも一般席に座ればよいのかと、余計な心配をする羽目になる。一般席に座ればその分だけ若い人の席が減るわけだし、かといってシルバーに坐るのは図々しく思われるかもしれない。このようになんとも悩ましい期間が、誰にも数年はつづくのだ。そんな年齢の心情をさらりと巧くとらえている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 1992010

 まげものを洗へばひかる秋の水

                           小池文子

社の昼休みに、人事のことなどで悩みながら歩いていると、街中の看板に目を奪われることがあります。「てびねりの楽しさ」と書いてある「てびねり」とは何だろうと、その看板を目にするたびに思います。でも会社に戻れば、待っている仕事に追われて、そんなことはすぐに忘れてしまうのです。もっとも、「てびねり」がどのような意味をもっていようと、わたしにはそれほどに興味がないのです。惹かれているのは、その語のたたずまいなのです。語は、すっとわたしの中に入ってきて、頭の中をきれいに冷やしてくれます。本日の句にも、同じような感想を持ちました。「まげもの」という言葉の響きのおおらかさに、なんだかあらゆるものの心が、素直に背中を曲げてくつろいでゆくような気持ちがします。ネットで調べれば「まげもの」とは、「檜(ひのき)・杉などの薄い板を円筒形に曲げ、桜や樺(かば)の皮でとじ合わせ、これに底をつけて作った容器。わげもの。」とあります。洗って光るまげものの曲線にそって、流れてゆく次の季節に、だれもがうっとりと見とれてしまいます。『合本 俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


September 1892010

 虫売の鼻とがりつゝ灯にさらす

                           杉山岳陽

暑日が続いていたが、虫が鳴きだしたのは早かったように思う。虫売は文字通り虫を売ることを商売にする人のこと。この句を読んで、以前見た浮世絵を思い出した。後ろに虫籠がたくさん吊してあり、手前に大きく虫売の顔が描かれているのだが、長い顔に細い鼻でなんだか怒っているような悲しいような顔をしていたように思う、まあ浮世絵顔ということかもしれないが。勝手な言いぐさだけれど、虫売に太った人はいなかった気がする、昔見かけたひよこ売りのおじさんもしかり。灯にさらされたとがった鼻は、生きているものを売る、という商売のうっすらとした影を感じさせる。『図説俳句大歳時記 秋』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)




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