あと二ヶ月もすると暖房が恋しくなるとは、想像もできない。(哲




2010ソスN9ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1392010

 椎茸を炙っただけの夫婦かな

                           塩見恵介

卓の様子は、家庭ごとにかなり異なる。日頃は自分の家のそれはごく普通だと思っているけれど、たまに気の置けない他家を訪れたりすると、そのことがよくわかる。だから、どんな家での日常的な食卓のレポートでも、そのままその家の家族のありようや流儀などを鮮やかに告げてくれる。テレビドラマで食卓のシーンが多いのも、そのせいだろう。あれこれ説明するよりも、食卓さえ写しておけばかなりのことがわかるからである。掲句も同様で、炙っただけの椎茸という料理とも言えない料理を前にして、べつだん気にしている様子もない夫婦の姿だ。良い夫婦像かどうかなどということは読み手の判断にまかされているが、作者はそんなことよりも、あらためてこの食卓を見つめてみることにより、自分たち夫婦の関係が理解できたと思っているわけだ。新婚時の祝祭のような料理から炙っただけの椎茸に至るまでの短くはない夫婦の歴史が、皿の上の数片の椎茸によって一撃で語られているのである。俳誌「船団」(第86号・2010年9月刊)所載。(清水哲男)


September 1292010

 秋風や何為さば時みたされむ

                           相馬遷子

石の小説だったと思いますが、主人公が休日の前に、今度の休みにはあれもやってこれもやってと、さまざまな予定をたてているというのがありました。しかし、いざ休みの日になってみれば、ぼーっとしているうちに朝も昼も過ぎてしまい、あっというまに夕方になってしまったというのです。たしかにこんな経験は幾度もしているなと思い、というか、わたしの場合など、ほとんどの休日は、予定していたものはいつかできるだろうと次々に先延ばしをして、だらだらと時をすごしているだけです。しかし、だからといって、予定していたものをてきぱきと片付けたとしたらどうかというと、今度はもっとゆっくり疲れを取りたかったなと、日曜日の夜にサザエさんのテーマを聴きながら、別の後悔に襲われることになるのです。本日の句、人としてこの貴重な人生の時間に、いったい何をしていれば心は満たされるかと悩んでいます。何をしたところで、その日にできなかったことが自分を責めてくるのだと、さびしい心を抱えてしまうのは、たしかに秋風の季節に似合いそうです。『現代の俳句』(1993・講談社)所載。(松下育男)


September 1192010

 夕ひぐらし髪を梳かれてゐるやうな

                           神戸周子

年、蜩のかなかなかな、を耳にしたのは旅先で一度だけ。東京近郊に住む友人からのメールには盛夏の頃から「毎日蜩を聞きながら一日が終わります」と書かれていて、なつかしく羨ましく「遊びに行きます」と返信したがかなわなかった。早朝鳴いていることもある蜩だが、この句の蜩は夕暮れ時の遠ひぐらし。じっと聞いている作者を、夕ひぐらしが濡らしてゆく。降るような包むような蜩との透明な時間。梳く、というにふさわしいほど髪を伸ばしたことはないけれど、身をゆだねているその心地が静かに伝わってきて、目を閉じてひぐらしとの時間をそっと共有している。『展翅』(2010)所収。(今井肖子)




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