残り試合数と負け数の差で阪神若干有利。パは神のみぞ知る。(哲




2010ソスN9ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0592010

 耳かきもつめたくなりぬ秋の風

                           地 角

かきを耳の中に入れる前には、当然耳かきを手で持つわけですから、ここで冷たいと感じたのは、耳かきを持った瞬間なのでしょうか。あるいは耳をかいている時に、冷え冷えとした季節の変わり目を感じたというのでしょうか。柴田宵曲もこの句について、「天地の秋が人工の微物に到ることを詠んだのである」と解説しているように、どこからかやってきた秋は、どんなに隠れた隅っこや小さな空き地をも見逃さずに、季節をびっしりと行き渡らせるようです。江戸期の句ですから、おそらく木製の耳かきなのでしょうが、冷たくなりぬという感覚は、金属製のものに、むしろ当てはまりそうです。寒くなるからさびしくなるのではなく、寒くなっただけなぜかうれしさがこみ上げてくる。変わる季節を迎えるたびに打ち震える胸の中にも、びっしりと秋は入り込んできます。柴田宵曲『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)


September 0492010

 豊年や切手をのせて舌甘し

                           秋元不死男

こまで猛暑だと稲にもよくないのかと思いきや、今年は豊作なのだという。稲は冷夏には大きくダメージを受けるが暑さには強いそうだが、素人はそれにしても暑すぎたのでは、と心配してしまう。豊年、豊作、豊の秋、列車の旅をすると必ず目にする水田の風景。もっぱら食べるだけの身にもその喜びがしみじみ感じられる言葉だ。炊き立ての白いご飯をこんもり盛って、その湯気を両手に包むときの幸せ・・・もう今年米が出回り始めているし残ってるお米をさっさと食べようなどと考えながら、この句を読んで手元の切手をちょこっとなめてみた。切手の糊の原料は昔はデンプンだったが、今は化学的な成分になっているということで、甘さに敏感な舌先にも当然のことながら甘みは感じられない。でもそういえばちょっと甘かったこともあるような気がするなと思いながら、切手の舌ざわりと豊年がふとつながった瞬間を思い描いている。『新日本大歳時記 秋』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


September 0392010

 鰯雲レーニンの国なくなりぬ

                           原田 喬

ルリンの壁が崩れて米ソ二大国による世界支配が終りアメリカの一国世界制覇が始まった。勝負がついたのである。史実の歴史的評価は勝者の側に味方するから正義はアメリカに集中する。戦争映画やスパイもので残虐の限りを尽くしたあげく負けるのはいつもドイツと日本そしてソ連。作者は大正二年生まれ。敗戦後長くシベリアに抑留された。横浜高商時代にマルクスを学び左翼運動に関わる。抑留時代は数千人の俘虜の代表としてソ連側との折衝に当たった。共産主義国家に抑留されたマルキストというのはなんとも皮肉な印象がある。そういえば天安門前に毛沢東の温容の額が飾ってあるが、文化大革命も紅衛兵も歴史的評価は今は最悪。主導者である毛主席だけを称揚するのはまさに政策。逆に言えばそれらすべての評価は将来覆る可能性もあるということだ。『長流』(1999)所収。(今井 聖)




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