2010N9句

September 0192010

 二百十日馬の鼻面吹かれけり

                           高田 保

日は二百十日。立春からかぞえて二百十日目にあたる。今夏は世界的に異常気象だったけれど、厄日とされてきたこの日、果たして二百十日の嵐は吹き荒れるのかどうか……。「二百十日」や「二百二十日」といった呼称は、近年あまり聞かれなくなった。かわって「エコ」や「温暖化」という言葉が、やたらに飛びかう時代になりにけり、である。猛暑のせいで、すでに今年の米の実りにも悪しき影響が出ている。さらに早稲はともかく、今の時季に花盛りをむかえる中稲(なかて)にとっては、台風などが大いに気に懸かるところである。ところで、馬の顔が長いということは今さら言うまでもない。長い顔の人のことを「馬づら」どころか、「馬が小田原提灯をくわえたような顔」というすさまじい言い方がある。馬の長い顔は俳句にも詠まれてきた。よく知られている室生犀星の傑作に「沓かけや秋日に伸びる馬の顔」がある。馬はおとなしい。その「どこ吹く風」といった長い鼻面が、二百十日の大風に吹かれているという滑稽。さすがの大風も、人や犬の鼻面に吹くよりは吹きがいがあろう、と冗談を言いたくもなる句ではないか。意外性の強い俳句というわけではないけれど、着眼がおもしろい。小説家・劇作家として活躍した保は、多くの俳句を残している。他に「広重の船にも秋はあるものぞ」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 0292010

 秋暑し謝ることを仕事とす

                           西澤みず季

ったいいつまでこの暑さは続くのだろう。九月に入っても平年以上に気温の高い日が続く。と、あまりありがたくない予報が出ているが、早く秋らしく爽やかな空気を味わいたいものだ。「謝ることが仕事」と言えばデパートのお客様相談室や企業の顧客窓口を思い浮かべるが、それだけではなく、働いていれば「謝ることが仕事」と自分に言い聞かせねばならぬ場面は出てくるもの。どんな理不尽なことを言われても反論する気持ちをぐっと抑え込み。ひたすら頭を下げる。下げた額からぽたぽたと汗がしたたり落ちる。何かと弁明したい気持ちを押し殺しつつ、相手へ頭を下げ続ける割り切れなさは、長引く暑さに耐える不快さに通じるかもしれない。それでも掲句のように「謝ることを仕事とす」とさらりと表現されれば、所詮仕事ってそんなもの。と開き直った潔さも感じられて、嫌な出来事にも距離をとって考えられそうだ。『ミステリーツアー』(2009)所収。(三宅やよい)


September 0392010

 鰯雲レーニンの国なくなりぬ

                           原田 喬

ルリンの壁が崩れて米ソ二大国による世界支配が終りアメリカの一国世界制覇が始まった。勝負がついたのである。史実の歴史的評価は勝者の側に味方するから正義はアメリカに集中する。戦争映画やスパイもので残虐の限りを尽くしたあげく負けるのはいつもドイツと日本そしてソ連。作者は大正二年生まれ。敗戦後長くシベリアに抑留された。横浜高商時代にマルクスを学び左翼運動に関わる。抑留時代は数千人の俘虜の代表としてソ連側との折衝に当たった。共産主義国家に抑留されたマルキストというのはなんとも皮肉な印象がある。そういえば天安門前に毛沢東の温容の額が飾ってあるが、文化大革命も紅衛兵も歴史的評価は今は最悪。主導者である毛主席だけを称揚するのはまさに政策。逆に言えばそれらすべての評価は将来覆る可能性もあるということだ。『長流』(1999)所収。(今井 聖)


September 0492010

 豊年や切手をのせて舌甘し

                           秋元不死男

こまで猛暑だと稲にもよくないのかと思いきや、今年は豊作なのだという。稲は冷夏には大きくダメージを受けるが暑さには強いそうだが、素人はそれにしても暑すぎたのでは、と心配してしまう。豊年、豊作、豊の秋、列車の旅をすると必ず目にする水田の風景。もっぱら食べるだけの身にもその喜びがしみじみ感じられる言葉だ。炊き立ての白いご飯をこんもり盛って、その湯気を両手に包むときの幸せ・・・もう今年米が出回り始めているし残ってるお米をさっさと食べようなどと考えながら、この句を読んで手元の切手をちょこっとなめてみた。切手の糊の原料は昔はデンプンだったが、今は化学的な成分になっているということで、甘さに敏感な舌先にも当然のことながら甘みは感じられない。でもそういえばちょっと甘かったこともあるような気がするなと思いながら、切手の舌ざわりと豊年がふとつながった瞬間を思い描いている。『新日本大歳時記 秋』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


September 0592010

 耳かきもつめたくなりぬ秋の風

                           地 角

かきを耳の中に入れる前には、当然耳かきを手で持つわけですから、ここで冷たいと感じたのは、耳かきを持った瞬間なのでしょうか。あるいは耳をかいている時に、冷え冷えとした季節の変わり目を感じたというのでしょうか。柴田宵曲もこの句について、「天地の秋が人工の微物に到ることを詠んだのである」と解説しているように、どこからかやってきた秋は、どんなに隠れた隅っこや小さな空き地をも見逃さずに、季節をびっしりと行き渡らせるようです。江戸期の句ですから、おそらく木製の耳かきなのでしょうが、冷たくなりぬという感覚は、金属製のものに、むしろ当てはまりそうです。寒くなるからさびしくなるのではなく、寒くなっただけなぜかうれしさがこみ上げてくる。変わる季節を迎えるたびに打ち震える胸の中にも、びっしりと秋は入り込んできます。柴田宵曲『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)


September 0692010

 落蝉に一枚の空ありしかな

                           落合水尾

生句ではない。作者の眼前には、落蝉もなければ空もない。「ありしかな」だから回想句かとも思われるが、それとも違う。小さな命の死と悠久の空一枚。現実の光景をデフォルメすれば、このような景色は存在するとも言えるけれど、作者の意図はおそらくそうした現実描写にはないだろう。強いて言えば、作者が訴えているのは、命のはかなさなどということを越えた「虚無」の世界そのもの提出ではなかろうか。感傷だとか慈しみだとか、そういった人情の揺らぎを越えて、この世界は厳然と展開し存在し動かせないものだと、作者は言いたいのだと思う。このニヒリズムを避けて通れる命はないし、そのことをいまさら嘆いてみても何もはじまらないのだ。私たちの生きている世界を何度でもここに立ち戻って認識し検証し、そのことから何事かを出発させるべきなのだ……。妙な言い方をするようだが、この句は老境に入りつつある作者の人生スローガンのようだと読んだ。『日々』(2010)所収。(清水哲男)


September 0792010

 新涼や持てば生まるる筆の影

                           鷹羽狩行

象庁では2日、今年の夏を異常気象と発表した。異常気象とは「過去30年の観測に比して著しい偏りを示した天候」と定義されているという。尋常でないと公認された暑さではあるが、それでも夕方はめっきり早く訪れるようになり、朝夕には季節が移る用意ができたらしい風が通うようになった。先送りにしていたあれこれが気になりだすことこそ、ようやく人心地がついたということだろう。酷暑のなかでも日常生活はあるものの、要返信の手紙類は「とりあえず落ち着いたら…」の箱に仕分けられ、そろそろかなりの嵩になっている。掲句では、手紙の文面や、送る相手を思う前に、ふと筆の作る影に眼がとまる。真っ白な紙の上に伸びた影が、より目鼻のしっかりした秋を連れてくるように思える。書かねばならないという差し迫る気持ちの前で、ふと秋を察知したささやかな感動をかみしめている。やがて手元のやわらかな振動に従い、筆の影は静かに手紙の上を付いてまわることだろう。『十六夜』(2010)所収。(土肥あき子)


September 0892010

 秋風や人なき道の草の丈

                           芥川龍之介

正九年、二十八歳のときの作。詞書に「大地茫茫愁殺人」とある。「愁殺(しゅうさい)人」とは、甚だしく人を悲しませるという意味である。先々週水曜日の本欄で初秋の風の句(平賀源内)をとりあげたが、掲句の風はもっと秋色を濃厚にしている時季である。寒いくらいの秋風が吹いている道だから、人通りも無いのだろう。ただ道ばたの雑草が我がもの顔に丈高く繁って風に騒いでいるという、まさしく茫々たる景色である。どこか物悲しくもある。それはまた、やがて自死にいたる芥川のこころをその裏に潜ませていた、と早とちりしたくもなる句ではないか。(もっとも自死は七年後だった)そのように牽強付会ぬきにしても、いずれにせよ単に秋風の道のスケッチにとどまっていないのは確かであろう。八月に岩波文庫版『芥川竜之介俳句集』が刊行された。編者の加藤郁乎が解説で、「ぼくが死んだら句集を出しておくれよ」と芥川が言っていたことを紹介している。さらに、芥川が「俳壇のことなどはとんと知らず。又格別知らんとも思はず。(略)この俳壇の門外漢たることだけは今後も永久に変らざらん乎」と書いていた言葉を紹介している。生前、確かに俳人たちとの接点はまだ少なかったようだが、「その俳気英邁を最初に認めた俳人は飯田蛇笏であろう」と郁乎氏。芥川には秋風を詠んだ句が目につく。「秋風や秤にかかる鯉の丈」「秋風や甲羅をあます膳の蟹」など。『芥川竜之介俳句集』(2010)所収。(八木忠栄)


September 0992010

 アンデスの塩ふつて焼く秋刀魚かな

                           小豆澤裕子

年の秋刀魚は不漁で例年より値が高い。10日ほど前駅前のスーパーで見た秋刀魚は一尾480円と信じられない値が付けられていた。この高騰にもかかわらず例年行われる目黒の秋刀魚祭りでは焼いた秋刀魚を無料で配ったというのだから、集まった人たちは「秋刀魚は目黒にかぎる」とその心意気に打たれたことだろう。それはさて置き、掲句にある「アンデスの塩」はボリビアから輸入されているうすいピンク色の岩塩だろう。ほんのりと甘く海塩とは違った味わいがある。銀色に光る秋刀魚にアンデス山脈から切り出されたピンク色の岩塩を振りかけて火にかける。思えば日々の食卓に上がるものはフィリッピンの海老だったり、ニュージーランドの南瓜であったり、アメリカの大豆であったり、世界各国から輸入されたものに彩られるわけで、ひとつひとつの出自を思いながら食せば胃の腑で出会うものたちがたどってきた道のりの遠さにくらくらしそうだ。『右目』(2010)所収。(三宅やよい)


September 1092010

 けさ秋やおこりの落ちたやうな空

                           小林一茶

こりはマラリア熱の類。間欠的に高熱が襲う。けさ秋は「今朝の秋」、秋の確かな気配をいう。暦の上の立秋なぞものかわ今年のように暑いとまさにおこりを思わせる。横浜に住んでいて9月7日に到りひさしぶりに雨が降ったが秋の雨というような季語の本意には遠く、むしろ喜雨という言葉さえ浮んだのだった。観測史上の記録を塗りかえるほどの暑さを思うとおそらく一茶の時代よりも4、5度は現在の方が高温なのではないか。おこりよりももっと激しい痙攣のような残暑がまだまだ続くらしい。『八番日記』(1819)所収。(今井 聖)


September 1192010

 夕ひぐらし髪を梳かれてゐるやうな

                           神戸周子

年、蜩のかなかなかな、を耳にしたのは旅先で一度だけ。東京近郊に住む友人からのメールには盛夏の頃から「毎日蜩を聞きながら一日が終わります」と書かれていて、なつかしく羨ましく「遊びに行きます」と返信したがかなわなかった。早朝鳴いていることもある蜩だが、この句の蜩は夕暮れ時の遠ひぐらし。じっと聞いている作者を、夕ひぐらしが濡らしてゆく。降るような包むような蜩との透明な時間。梳く、というにふさわしいほど髪を伸ばしたことはないけれど、身をゆだねているその心地が静かに伝わってきて、目を閉じてひぐらしとの時間をそっと共有している。『展翅』(2010)所収。(今井肖子)


September 1292010

 秋風や何為さば時みたされむ

                           相馬遷子

石の小説だったと思いますが、主人公が休日の前に、今度の休みにはあれもやってこれもやってと、さまざまな予定をたてているというのがありました。しかし、いざ休みの日になってみれば、ぼーっとしているうちに朝も昼も過ぎてしまい、あっというまに夕方になってしまったというのです。たしかにこんな経験は幾度もしているなと思い、というか、わたしの場合など、ほとんどの休日は、予定していたものはいつかできるだろうと次々に先延ばしをして、だらだらと時をすごしているだけです。しかし、だからといって、予定していたものをてきぱきと片付けたとしたらどうかというと、今度はもっとゆっくり疲れを取りたかったなと、日曜日の夜にサザエさんのテーマを聴きながら、別の後悔に襲われることになるのです。本日の句、人としてこの貴重な人生の時間に、いったい何をしていれば心は満たされるかと悩んでいます。何をしたところで、その日にできなかったことが自分を責めてくるのだと、さびしい心を抱えてしまうのは、たしかに秋風の季節に似合いそうです。『現代の俳句』(1993・講談社)所載。(松下育男)


September 1392010

 椎茸を炙っただけの夫婦かな

                           塩見恵介

卓の様子は、家庭ごとにかなり異なる。日頃は自分の家のそれはごく普通だと思っているけれど、たまに気の置けない他家を訪れたりすると、そのことがよくわかる。だから、どんな家での日常的な食卓のレポートでも、そのままその家の家族のありようや流儀などを鮮やかに告げてくれる。テレビドラマで食卓のシーンが多いのも、そのせいだろう。あれこれ説明するよりも、食卓さえ写しておけばかなりのことがわかるからである。掲句も同様で、炙っただけの椎茸という料理とも言えない料理を前にして、べつだん気にしている様子もない夫婦の姿だ。良い夫婦像かどうかなどということは読み手の判断にまかされているが、作者はそんなことよりも、あらためてこの食卓を見つめてみることにより、自分たち夫婦の関係が理解できたと思っているわけだ。新婚時の祝祭のような料理から炙っただけの椎茸に至るまでの短くはない夫婦の歴史が、皿の上の数片の椎茸によって一撃で語られているのである。俳誌「船団」(第86号・2010年9月刊)所載。(清水哲男)


September 1492010

 なみなみと大きく一つ芋の露

                           岩田由美

の露とは、七夕の朝、里芋の葉の露を集めて墨をすり、短冊に願いを書くと美しい文字が書けるようになるという故事からなるが、飯田蛇笏の〈芋の露連山影を正しうす〉以降、写生句として扱われることの方が多くなった。それでも「露」が背景に色濃く持つ、はかなく変化の多い世という嘆きが、芋の露に限って薄まるのは、つややかな里芋の葉に溌剌とした大粒の露がころんと転がる姿に、健康的な美しさを見出すからだろう。里芋の葉の表面にはごく細かなぶつぶつがあり、これにより超撥水性と呼ばれる効果を発揮する。水滴は球体でありながら葉にはぴったりと吸い付いて、なかなかこぼれ落ちないという不思議な仕組みがあるらしい。そしてなにより、いかにも持ちやすそうな茎の先に広がるかたちは、トトロやコロボックルたちの傘や雨宿り場所としても定番であったことから、どこか懐かしく、童話的な空気が漂う。句集のなかの掲句は〈追ひあうて一つになりぬ芋の露〉につづき、きらきらとした露の世界を広げている。芋の葉の真ん中に収まる露は、未来を占う水晶玉のごとく、朝の一番美しいひとときを映し出していることだろう。『花束』(2010)所収。(土肥あき子)


September 1592010

 横町に横町のあり秋の風

                           渋沢秀雄

っとこさ秋風が感じられる季節にたどりついた。秋風は町ではまず大きな通りを吹き抜けて行く。つづいて大通りから入った横町へ走りこみ、さらに横町と横町を結ぶ小路や抜け裏へとこまやかに走りこんで行く。横町につながる横町もあって、風は町内に隈なく秋を告げてまわるだろう。あれほど暑かった夏もウソのように過ぎ去って、横町では誰もが涼しい風を受け入れて、「ようやく秋だねえ」「秋になったなあ。さて…」と今さらのように一息入れて、横町から横町へと連なるわが町内を改めて実感しているだろう。味も素っ気もない大通りではなく、横町が細かく入りくんでいる町の、人間臭い秋の風情へと想像は広がる。落語の世界ではないが、やはりご隠居さんは大通りではなく横町に住んでこそ、サマになるというものである。裏長屋から八つぁん熊さんが、風に転がるようにして飛び出してきそうでもある。秋風が横町と横町をつなぐだけでなく、そこに住む人と人をもつないで行く。秀雄は「渋亭」の俳号をもち、徳川夢声、秦豊吉らと「いとう句会」のメンバーだった。他に「北風の吹くだけ吹きし星の冴え」「うすらひに水鳥の水尾きてゆるゝ」等がある。平井照敏編『新歳時記』(1996)所載。(八木忠栄)


September 1692010

 新しく忘れるために秋の椅子

                           窪田せつこ

いぶ前の新聞で「知らない事と忘れたという事は違う。忘れることなんか気にしないでただ覚えればいい。そもそも生まれた時からのことをみんな覚えていたら頭がどうかなってしまう」といった言葉が目にとまった。内田百ケン(ケンの表記は門構えに月)だったと思う。もっともこれは学問に関する教えで、砂時計の砂がこぼれおちるように読んだそばから内容を忘れ、薬缶を火にかけていることを忘れ、とりかかろうとしていた用事を忘れてしまう私などとはちょっと事情が違うかもしれない。掲句では「忘れる」不安を一歩進めて、「新しく忘れるために」と言い切ったところがいい。覚えたこともいずれちりちりになってしまうのだから、そんなことは気にせずに椅子に座っておしゃべりをし、本でも読みましょうよ。と、さっぱりした心持ちが秋の爽やかさに通じる。ようやく気温も落ち着いてきて本格的な秋がやってくる。さて新しく忘れるためにお気に入りの椅子に腰かけ図書館で借りてきた本でも広げてみようか。『風』(2009)所収。(三宅やよい)


September 1792010

 秋の夜のラジオの長き黙つづく

                           山口誓子

んな句を昭和19年に作ることができた誓子の頭の中はどういうことになっていたのか。型の上のホトトギス調はない。ここには文語か口語かの識別の表現はない。季語はあるが秋の夜の定番情緒がテーマに置かれているわけではない。いわゆる従来の俳句的情緒も皆無。それでいて昭和初期の現代詩を模倣したモダニズムもない。ベレー帽などかぶったモボ、モガのダンディズムが見られない。ここで見出されている「詩」は完全に誓子が初めて俳句にもたらしたものだ。新しいポエジーなのに難解さは無い。ああ、こんなことが俳句で言えたのだと、言われてみると簡単なことのように思える。誰も出来なかった「簡単」なこと。まさしく当時の俳句の最前線に立った誓子のポエジーは今でも最前線のままだ。『激浪』(1944)所収。(今井 聖)


September 1892010

 虫売の鼻とがりつゝ灯にさらす

                           杉山岳陽

暑日が続いていたが、虫が鳴きだしたのは早かったように思う。虫売は文字通り虫を売ることを商売にする人のこと。この句を読んで、以前見た浮世絵を思い出した。後ろに虫籠がたくさん吊してあり、手前に大きく虫売の顔が描かれているのだが、長い顔に細い鼻でなんだか怒っているような悲しいような顔をしていたように思う、まあ浮世絵顔ということかもしれないが。勝手な言いぐさだけれど、虫売に太った人はいなかった気がする、昔見かけたひよこ売りのおじさんもしかり。灯にさらされたとがった鼻は、生きているものを売る、という商売のうっすらとした影を感じさせる。『図説俳句大歳時記 秋』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


September 1992010

 まげものを洗へばひかる秋の水

                           小池文子

社の昼休みに、人事のことなどで悩みながら歩いていると、街中の看板に目を奪われることがあります。「てびねりの楽しさ」と書いてある「てびねり」とは何だろうと、その看板を目にするたびに思います。でも会社に戻れば、待っている仕事に追われて、そんなことはすぐに忘れてしまうのです。もっとも、「てびねり」がどのような意味をもっていようと、わたしにはそれほどに興味がないのです。惹かれているのは、その語のたたずまいなのです。語は、すっとわたしの中に入ってきて、頭の中をきれいに冷やしてくれます。本日の句にも、同じような感想を持ちました。「まげもの」という言葉の響きのおおらかさに、なんだかあらゆるものの心が、素直に背中を曲げてくつろいでゆくような気持ちがします。ネットで調べれば「まげもの」とは、「檜(ひのき)・杉などの薄い板を円筒形に曲げ、桜や樺(かば)の皮でとじ合わせ、これに底をつけて作った容器。わげもの。」とあります。洗って光るまげものの曲線にそって、流れてゆく次の季節に、だれもがうっとりと見とれてしまいます。『合本 俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


September 2092010

 敬老の日のどの席に座らうか

                           吉田松籟

をとるまでは気がつかなかったが、世の中にはあちこちに高齢者のための配慮が見られる。運動会などでも敬老席があったりする。なかでいちばんポピュラーなのは電車やバスのシルバー・シートだろう。句の作者がどういう場所にいるのかはわからないけれど、どこにいるにせよ、こういう戸惑いの気持ちは理解できる。還暦を過ぎたころからはじまる戸惑いである。それくらいの年齢になると、自分では若いと思っていても、客観的にはどう見えるのかがよくわからない。わからないから、いつも「どの席に座らうか」と迷ってしまう。電車に乗ってもシルバー・シートに座るべきなのか、それとも一般席に座ればよいのかと、余計な心配をする羽目になる。一般席に座ればその分だけ若い人の席が減るわけだし、かといってシルバーに坐るのは図々しく思われるかもしれない。このようになんとも悩ましい期間が、誰にも数年はつづくのだ。そんな年齢の心情をさらりと巧くとらえている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 2192010

 鹿の眼の押し寄せてくる月の柵

                           和田順子

日の夜が十五夜で仲秋の名月。そして満月は明後日。十五夜が満月と限らないのは、新月から満月までの平均日数は約14.76日であるため、15日ずつでカウントする旧暦では若干のずれが生じることによる。理屈では分かっていても、どことなく帳尻が合わないような気持ち悪さがあるのだが、来年2011年から2013年の間は十五夜と月齢満月が一致するというので、どんなにほっとしてこの日を迎えられることだろう。掲句は前書に「夜の動物園」とある。光る目が闇を漂いながら迫ってくる様子は、鹿の持つ愛らしい雰囲気を拒絶した恐怖でしかないだろう。浮遊する光りは、生きものの命そのものでありながら、異界への手招きのようにも見え、無性に胸を騒がせる。安全な動物園のなかとはいえ、月の光りのなかで、あちらこちらの檻のなかで猛獣の目が光っているかと思うと、人間の弱々しく、むきだしの存在に愕然と立ちすくむのだ。タイトルの『黄雀風(こうじゃくふう)』とは陰暦五、六月に吹く風。この風が吹くと海の魚が地上の黄雀(雀の子)になるという中国の伝承による。〈波消に人登りをり黄雀風〉〈海牛をいふけつたいを春の磯〉『黄雀風』(2010)所収。(土肥あき子)


September 2292010

 山径にあけび喰うて秋深し

                           白鳥省吾

けびは「通草」「木通」と書き、秋の季語だから掲句は季重なりということになる。まあ、そんなことはともかく、ペットボトルの携行など考えられなかった時代、旅先であろうか、山径でたまたま見つけたあけびをもぎとって食べ、乾いたのどを潤したのであろう。その喜び、安堵感。「喰(くろ)うて」という無造作な行為・表現が、その様子を伝えている。喰うて一服しながら、今さらのように秋色の深さを増してきている山径で、感慨を覚えているのかもしれない。自生のあけびを見つけたり、なかば裂開しておいしそうに熟した果肉を食べた経験のある人は、今や少なくなっているだろう。子どもの頃、表皮がまだ紫色に熟していないあけびを裏山からもぎ取ってきて、よく米櫃の米のなかにつっこんでおいた。しばらくして食べごろになるのだった。白くて甘い胎座に黒くて小粒の種が埋まっている。あっさりした素朴な甘い味わいと、珍しい山の幸がうれしかった。種からは油をとるし、表皮は天ぷら、肉詰め、漬物にしたりして山菜料理として味わうことができる。蔓は生薬にしたり、乾燥させて篭などの工芸品として利用されるなど、使いみちは広い。あけびは山形県が圧倒的生産量を誇るようだが、同地方では、彼岸には先祖の霊が「あけびの舟」にのって帰ってくる――という可愛い言い伝えもあって、あけびを先祖に供える風習があったとか。飯田龍太に「夕空の一角かつと通草熟れ」の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 2392010

 満月のあめりかにゐる男の子

                           小林苑を

日は満月。時差はあれ、世界中の人が同じ月を見るんだなぁ、そう思うと甘酸っぱい気持ちになる。考えれば太陽だって同じなのに、そんなふうに感じないのはなぜだろう。「空にいる月のふしぎをどうしよう」という岡田幸生の句の通り夜空にかかる月は神秘的な力を感じさせる。掲句「満月の」の「の」は「あめりか」にかかるのではなく、上五でいったん軽く切れると読んだ。自分が見上げている月をアメリカの男の子が見上げている様子を想像しているのだろう。例えばテキサスの荒野に、ニューヨークの摩天楼の窓辺にその子は佇んでいるのかもしれない。この句の作者は少女の心持ちになって、同じ月を見上げる男の子へ恋文を送る気分でまんまるいお月様を見上げている。「あめりか」の男の子にちょっと心ときめかせながら。カタカナで見慣れた国名のひらがな表記が現実とはちょっと違う童話の世界を思わせる。『点る』(2010)所収。(三宅やよい)


September 2492010

 夢見ざる眠りまつくら神の旅

                           小川軽舟

暦10月神々が出雲大社に集まるために旅をすることを「神の旅」というのだが、どうも趣味的というか、極めて特殊な季語に思えて僕自身は用いたことはない。神道の熱心な信者でもないかぎりそんなことをつくづくとは思わないだろうから、これはキリスト教の聖何々祭というのと同様だろうというと、そんなことはない、日本の民衆の歴史の中に神事は今日まで具体的に生きていると反論されることもある。しかしである。俳句が神社仏閣を詠い、特殊な俳句的情緒を演出するために用いられてきたというのも事実である。どうしても「神の旅」を詠いたければ、方法の選択は二つ考えられる。ひとつは正攻法。「神の旅」の本意を十分に探った上で、そこに自分の独自の感覚や理解を付加することだ。もう一つは「神」の「旅」というふうに季語を分解してふつうの言葉として使うこと。これはどんな神のどんな旅でもいいということ。しかし、この場合、神の旅は厳密に言えば季語にならないだろう。僕はこの句は後者だと思う。作者の思念の中にある神は日本の神事の中の神に限定されない。夢を見ないのも眠りがまっくらだったと「思う」のも作者自身の思い。そういう意味ではこの「神」は作者自身にも思えてくる。我等人間一人一人が実は神なのだという認識にも通じてくる。『シリーズ自句自解1ベスト100小川軽舟』(2010)所収。(今井 聖)


September 2592010

 秋暑しすこやかなればめぐり合ひ

                           松本つや女

の句の前に〈夕顔に病み臥す人と物語〉〈堂縁に伏して物書く秋の風〉と続いている。いずれも、夫たかしを詠んでいるのだろう。一句目の物語、二句目の秋の風、共に過ごす時間に同じ風が吹いている。終生病弱であったたかし、病が進んでも衰えた様子を見せるのを嫌い、つや女にも、取り乱すことの無いようにと常々言っていたという。貴公子、と呼ばれたたかしだが、長く身の回りの世話をし、やがて一緒になったつや女には素顔のたかしが見えていたのだろう。残暑より少し秋の色合いの強い、秋暑し。まだ暑いながら時に秋風も立つ。この夏もなんとかのりきったなと一息つきながら、一瞬過去へ思いが巡ったのだろう。すこやか、の一語から、こめるともなくこもる思いが伝わってくる。『現代俳句全集 第一巻』(1953・創元社)所載。(今井肖子)


September 2692010

 夫と来てはなればなれに美術展

                           龍神悠紀子

そらくこの夫婦は、新婚まもなくではなく、結婚してからかなりの月日を過ごした後なでしょう。私自身のことを考えても、結婚前のデートでは、彼女を誘ってしばしばしゃれた美術館へ、見たこともない画家の絵を無理して観に行ったことはあります。しかし、いったんその人と結婚してしまえば、子育てだ、住宅ローンだ、子供の受験だと、次々にやって来る出来事の波を乗り切るのが精一杯で、妻とゆっくりと美術展に行ったことなど思い出せません。子供が大きくなり、手を離れてから、ふっとできた時間の中で、夫婦の足は再びこのようなところへ向くようになるのでしょう。それでも独身時代とは違って、一緒に並んで観て回るなんて、余計な気を遣う必要はもうないのです。絵がつまらないと思えばさっさと次の展示物へ行ってしまうし、あるいは妻が先へ行ったところで、自分がじっくり観たいものはそれなりに時間をかけて観ることができるわけです。ああ、こんなふうに二人ではなればなれになることもできるのだなと、それまでの時間の重なりのあたたかさを、絵とともに見つめることができるのです。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


September 2792010

 日本がすつぽり入る秋の暮

                           後藤信雄

の句に抒情を感じるか否か。それは読者の年代によって分かれるところだろう。言っていることは、たとえば『百人一首』にある「寂しさに宿を立ち出でて眺むればいづこも同じ秋の夕暮」(良暹法師)に通じている。「日本中いずこも」秋の夕暮なのである。ただ両者が決定的に異なるのは、夕暮を眺める視点である。良暹法師は水平的に見ており、句の作者は俯瞰的に見ている。俯瞰的に景色などを眺める感覚は、この一世紀くらいの間に目覚ましく開発されてきた。言うまでもなく、それは人間の俯瞰能力や想像力が飛行機の発達や衛星の登場によって進化してきたからだ。飛行機のなかった時代の人は、せいぜいが鳥の目を想像するくらいでしかなかったけれど、今では「地球は青かった」と誰もが言える時代である。とはいえ、青い地球を理屈としてではなくそのまま自分の感性に取りこむ能力は、私などよりもずっと若い世代に属しているのだと思う。だから、そんな若い読者がこの句に良暹法師のような抒情を感じたとしても不思議ではない。作者の意図はどうであれ、この句をまず理屈として受けとってしまう世代の感性の限界を、少なくとも私は感じてしまった。『冬木町』(2010)所収。(清水哲男)


September 2892010

 こほろぎとゐて木の下に暮らすやう

                           飯田 晴

の声を聞きながら夜を過ごすのにもすっかり慣れてきたこの頃である。都内のわが家で聞くことができるのは、青松虫(アオマツムシ)がほとんどだが、夜が深まるにつれ蟋蟀(コオロギ)や鉦叩(カネタタキ)の繊細な声も響いてくる。掲句にイメージをゆだね、眼をつむってしばし大好きな欅にもたれてみることにした。一本の木を鳥や虫たちと分け合い、それぞれの声に耳を傾ける。昼は茂る葉の向こうに雲を追い、夜は星空を仰いで暮らしている。食事はいろんな木の実と、そこらへんを歩いている山羊の乳など頂戴しよう。ときどきは川で魚も釣ろう。などと広がる空想のあまりの心地の良さに、絶え間なく通過する首都高の車の音さえ途絶えた。束の間の楽園生活を終えたあとも、虫の声は力強く夜を鳴き通している。〈空蝉のふくらみ二つともまなこ〉〈小春日の一寸借りたき赤ん坊〉『たんぽぽ生活』(2010)所収。(土肥あき子)


September 2992010

 人棲まぬ隣家の柚子を仰ぎけり

                           横光利一

ういう事情でお隣は空家になったのかはわからない。けれども、敷地にある大きな柚子の木が香り高い実をたくさんつけているから、秋の気配が濃厚に感じられる。かつてそこに住んでいた人が丹精して育てあげた柚子の木なのだろう。柚子を見上げている作者は、今はいなくなった隣人へのさまざまな思いも、同時に抱いているにちがいない。今の時季だと散歩の途次、柚子の木が青々とした実をつけているのに出くわす機会が多い。しばし見とれてしまって、その家の住人への想いにまで浸ることがある。どうか通りがかりの心ない人に盗られたりしませんように、などと余計なことを願ってみたりもする。小ぶりなかたちとその独特な香気と酸味は誰にも好まれるだけでなく、重宝な果実として日本料理の薬味としても欠かせない。柚子味噌、柚子湯、柚子酢、柚子茶、柚子餅、ゆべし、柚子胡椒……さらに「柚子酒」という乙な酒もある。『本朝食鑑』には「皮を刮り、片を作し、酒に浮かぶときは、酒盃にすなはち芳気あひ和して、最も佳なり」とある。さっそく今夜あたり、ちょいと気取って試してみましょうぞ。柚子の句には「美しき指の力よ柚子しぼる」(粟津松彩子)「柚子の村少女と老婆ひかり合ふ」(多田裕計)などがある。利一はたくさんの俳句を残した作家である。「白菊や膝冷えて来る縁の先」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 3092010

 どこまでも雨の背高泡立草

                           小西昭夫

かし国鉄と呼んでいた頃、線路脇に延々とこの雑草が茂っていた。濁った黄色の花を三角に突き立てる姿は、荒々しいばかりでちっとも好きじゃなかった。戦後進駐軍が持ち込み、爆発的に広がったという話を耳にしたことがある。今住んでいる関東近辺ではあまり見かけないが、他ではどうなのだろう。カタカナの語感で呼びならしていたこの雑草も漢字で書くと、猛々しさが消え淡く優しい秋草の雰囲気を醸し出すようだ。「どこまでも」が降り続く雨と群生する植物の両方にかかりあてどない寂しさを感じさせる。「背高泡立草」は降りしきる雨に人の群れのように立ちつくしているのだろう。それにしても晴れれば照りつけ、降ればどしゃ降りの最近の天候には可憐な表記ではなく「セイタカアワダチソウ」が似合いかもしれない。『小西昭夫句集』(2010)所収。(三宅やよい)




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