甲子園は最も面白いと言われる準々決勝。目が離せない。(哲




2010ソスN8ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1882010

 あさがおはむらさきがいいな水をやる

                           瑛 菜

者は小学一年生の女の子で、俳人・大高翔さんのお嬢さん。朝顔の花には赤、ピンク、白、藍……いろいろあるし、紫もある。私の近所の家の垣根で、朝顔が毎年みごとな紫の花をたくさん咲かせてくれる。そこを通るたびにしばし見とれてしまう。朝顔の紫は品位があって優雅。奥行きのある、とてもいい色だと思う。小学一年生の女の子だったら、赤とかピンクの花を「いいな」と詠みそうな気がするけれど、「むらさきがいい」というのはオトナっぽい感受性だなあ、と感心した。瑛菜さんはおマセな子なのだろうか? きっと毎朝、朝顔に水をやることが日課になっているのだろう。期待に応えて朝顔もがんばってみごとな花を咲かせる。「いいな」の「な」は字余りだが、この一字が加わったことによって気持ちがはじけ、可愛さが増した。無垢な気持ちで一所懸命水をあげている姿が見えるようである。さて、今朝は花がいくつ咲いたのだろうか? でも、あんなに鮮やかに咲いた朝顔も、暑い昼には見る影もなくしぼんでしまう儚さ。掲句は大高翔が、今春まとめた『親子で楽しむ こども俳句塾』という本を瑛菜さんが読み、それを契機にして作った一句だという。同書には「親子ペア部門」があって、こどもと親の句がペアでならんでいるらしい。掲句に対応して母親の翔さんは「朝顔を気にして始まる子の一日」という句を作っている。「朝日新聞」2010年8月8日収載。(八木忠栄)


August 1782010

 秋立つや耳三角に立ててみる

                           神戸周子

だまだ厳しい残暑ではあるが、流れる雲や木陰の風に秋の気配がしっかり感じられるようになった。顔のなかで三角にするものといえば、目だとばかり思っていたが、掲句は耳を立てるという。慣用句の「目を三角にする」とは激怒する様相のことだが、耳となると同じ三角でも少し様子が違う。どちらにしても実際に変貌するわけではなく、「そんな風であることよ」とイメージさせるものだから、ここはひとつ自由に想像させてもらう。三角に立てた耳とは、頭の上に付く動物の耳を想像し、犬や猫やウサギが、人間には聞こえない物音にじっと耳を傾けている姿が浮かぶ。とすると、動物のようにじっと耳を澄ますことが「耳を三角に立てる」であると判断する。こうして、まだ目に見えぬ秋の声に、じっと耳を傾け、目を凝らし、季節の移ろいに身をゆだねている作者が見えてくる。三角の耳は、秋の風をとらえ、小鳥たちの会話を楽しみ、行ってしまった夏の足音を聞き取っていくことだろう。〈夕ひぐらし髪を梳かれてゐるやうな〉〈盗みたきものに笑くぼとゆすらうめ〉『展翅』(2010)所収。(土肥あき子)


August 1682010

 還暦の子がパソコンの夏期講座

                           有保喜久子

齢化社会を象徴しているような句だ。親の還暦を詠んだ句ならいくらでもありそうだが、子の還暦を題材にした句にははじめて出会った。考えてみれば、いまの女性の平均寿命は九十歳に近いのだから、こういう句があっても不思議ではない理屈だ。他ならぬ私の母も九十二歳なので、子供の還暦どころか古稀にも立ち会ったことになる。そのうちに、親が子供の還暦や古稀を祝うことすら普通になってくるのかもしれない。昔からよく言われてきたことだが、いくつになっても子供は子供……。この句には、そんな親の気持ちが前面に出ている。子供が小さかった頃に夏期講習会に出かけていくのを見守ったまなざしが、六十歳になった子供にもそっくりそのまま向けられていて微笑ましい。いくつになっても、子供の向上心は親には健気と写り、また頼もしく思えるのである。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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