阪神は今日から巨人中日相手の6連戦。胃が痛くなりそうな。(哲




2010ソスN8ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0382010

 対岸は王家の谷や牛冷やす

                           市川栄司

ジプト5句と前書のあるなかの一句。一般に「牛馬冷す」の解釈は「田畑で使役した牛馬を川に引き入れ、全身の汗や汚れを落してやること」であるが、日本大歳時記の飯田龍太による解説はこれに加えた部分がとても素敵なので少し引きたい。「浅い川瀬に引き入れられると、牛も馬もここちよげに目を細める。その全身を飼主がくまなくたんねんに洗ってやる。文字通り、人馬のこころが通うひととき。次第にたそがれていく川明りのなかで、水音だけが鮮やかにひびく。だが近頃は農山村でも、そんな情景はとんと見かけなくなってしまった」。このとんと見かけなくなってしまった光景を、作者はエジプトで見ている。かの国においても牛は重要な動物であり、約3,400年前の壁画にも家畜としての牛が描かれていた。王家の谷とは、エジプトルクソールにあるツタンカーメンを含め60を越える王族たちの墓が連なる場所である。そして、掲句の通り対岸に王家の谷を見はるかすためには、牛はナイル川で冷やされているわけで、日本のひとまたぎできるような小川をイメージした農耕風景とは異なり、途方もなくスケールの大きな「冷し場」である。景色も歴史もまったく違っていながら、一頭の牛を愛おしむ姿は国を越えて、「牛冷す」の本意に叶っているものなのだと深く共感するのである。〈天使みな翼を持てり薔薇芽ぐむ〉〈うすばかげろふむかし女は眉剃りし〉『春落葉』(2010)所収。(土肥あき子)


August 0282010

 三伏の白粥に芯ありにけり

                           小野恵美子

語「三伏(さんぷく)」は中国の陰陽五行説に由来する。詳しいことは歳時記などで調べていただきたいが、要するに、夏の暑い盛りの時期(新暦では七月中旬から八月上旬あたり)を言い、「拝啓、三伏の候」などと暑中見舞に使ったりしてきた。句の作者は、このの暑いさなかに病を得ている。食欲もあまりないのだけれど、体力をつけるために何かを食べておかなければならない。そこで粥(かゆ)を炊いてもらって食べたのだが、いささか出来損なっていて芯があったと言うのである。それだけの句だけれど、この句に隠れているのは粥を炊いた人の心持ちで、あまりの暑さに十分に火を使うことをせず、つい調理がぞんざいになってしまった。つまり、病人食にも手抜きをしてしまうほど暑い日ということで、句の作者にも作ってくれた人の気持ちはわかっている。だからそのことに怒るというよりも、むしろ何もかもがどうにもならない暑さのせいだと嘆息しているのである。暑いさなかの熱い粥。それを食べなければならない情けなさには、私にも覚えがある。まだまだ暑い日がつづきます。御身お大切に。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


August 0182010

 炎天へ打つて出るべく茶漬飯

                           川崎展宏

れだけ暑い日が続くと、自然と水分をとる機会も多くなり、徐々に胃の働きも弱ってきます。今日の夕飯はいったい何なら口に入るだろうといった具合に、消去法で献立が決まるようになります。そうめんとか冷やし中華なら入るな、と思いつつも、でも昨日もそうだったわけだし、たまにはお米を食べなければ、という思いから頭に浮かぶのは、手の込んだ料理ではなく、たいていおにぎりとかお茶漬け。日本人たるもの、おにぎりやお茶漬けだけは、よっぽどのことがない限りいつだって食べられるのです。本日の句では、暑い盛りの外へ出かける前に、力をつけるために茶碗に口をつけてお茶漬けをかきこんでいる様子を描いています。おそらく汗をだらだらたらしながらの食事と見受けられます。「打って出る」という言葉が、どこか喧嘩か討ち入りにでも出かけるようで、たすきがけでもして食事をしているようなおかしさを、感じさせてくれます。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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