七月尽。猛暑がつづいていますが、これからがまた暑い。ご自愛を。(哲




2010ソスN7ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 3172010

 扇風機人形劇の幕を吹く

                           牧野春駒

が家の扇風機は東芝製、購入してから四十年近く経つ。高校入学と同時に上京した夫の四畳半一間の下宿で、それこそ〈扇風機まはり熱風吹き起る〉(高濱虚子)という状態だったというが、強烈な西日の当たる部屋で彼がなんとか夏を乗り切れたのは、この扇風機のおかげだったとか。名前もある、ローマ字で「Asagao」。ややぎこちなく首を振りながら、今年も健在だ。今、首を振る、と書いたが扇風機を見ていると、一生懸命風を送る姿は健気であり、その丸顔に愛着がわく。この句の扇風機も思いきり頑張ってはいるのだが、観客に涼風を送るまでには至っていないのかもしれない。そんな扇風機一台。学校の講堂に集まって、夏休みの開放感にひたりながら、人形劇を楽しんでいる子供達の姿が見える。『青丹』(1984)所収。(今井肖子)


July 3072010

 籐椅子と成りおほせたる家人なり

                           鈴木章和

りおほせたると言っているが、家人すなわち妻が亡くなられたわけではなさそうだ。籐椅子になってしまう妻にはユーモアが漂うからだ。なぜ籐椅子になったのか。それはいつも籐椅子に横たわっていたために妻の体が籐椅子と一体化してしまったのだ。いつもビールを飲んでいるためにビヤ樽になってしまった夫と家事を怠けて籐椅子になってしまった妻。その横を豚児(とんじ)すなわち豚になってしまった愚かな息子が通る。謙譲の表現は面白い。『夏の庭』(2007)所収。(今井 聖)


July 2972010

 夏まんなか そは 幼年の蒸気船

                           伊丹公子

つもは静かな平日の昼間に子供たちの遊ぶ声が聞こえてくると、ああ、夏休みなんだなぁと実感する。その声に40日間の暇をごろごろ持て余していたむかしを思った。今のように気楽に旅ができる時代と違い、家族で遠出する機会なんてほとんどなかった。白い煙を吐きながら未知の場所に旅立つ船や、機関車といった乗り物は子供にとっては憧憬の的だった。幼い頃、どれだけ高ぶった思いでこの大きな乗り物を見上げたことだろう。作者にとっても蒸気船は幼年の夏を印象付ける象徴的存在なのだろう。真っ青な夏空に浮かぶ雲を仰ぎ見るたび幼子の心に戻って、懐かしい蒸気船を想うのかもしれない。『博物の朝』(2010)所収。(三宅やよい)




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