昨夕、近所で法師ゼミが鳴いていた。間違って生まれてきたのかな。(哲




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July 2872010

 釣りをれば川の向うの祭かな

                           木山捷平

と言えばこの時季、夏である。俳句では言うまでもなく、春は「春祭」、秋は「秋祭」としなければならない。祀=祭の意味を逸脱して、今や春夏秋冬、身のまわりには「まつり」がひしめいている。市民まつり、古本まつり、映画祭……。掲句の御仁は、のんびりと川べりに腰をおろして釣糸を垂れているのだろう。祭の輪に加わることなく、人混みにまじって汗を拭きながら祭見物をするでもなく、泰然と自分の時間をやり過ごしているわけだ。おみこしワッショイだろうか、笛や鉦太鼓だろうか、川べりまで聞こえてくる。魚は釣れても釣れなくても、どこかしら祭を受け入れて、じつは心が浮き浮きしているのかもしれない。私が住んでいる港町でも、今年は氏神様の三年に一度の大祭で、川べりや橋の欄干に極彩色の大漁旗がずらりと立てられていて、それらが威勢よく風にはためいている。浜俊丸、かねはち丸、八福丸……などの力強い文字が青空に躍っている。氏子でもなんでもなく、いつも祭の輪の外にいる当方でさえ、どことなく気持ちが浮ついて、晩酌のビールも一本余計になってしまうありさま。三年に一度、まあ悪くはないや。漁港では今日も大きなスズキがどんどん箱詰めされて、仲買人や料亭へ配送されて行く。さて、これから当地名物のバカ面踊りや、おみこしワッショイでも見物してくるか。「祭笛吹くとき男佳かりける」(橋本多佳子)。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 2772010

 地物かと問はれ鰻が身をよぢる

                           白石めだか

日は土用の丑。どこの鰻屋もてんてこまいだったことだろう。平賀源内が夏場に鰻が売れない鰻屋に相談されて作ったコピーが発祥だったというが、「こう毎日暑いと鰻が食べたくなるね」と思うとちょうど土用の丑あたりに前後していたりするのも、不思議なことだ。姿かたちが気味悪いということで苦手な方もいるというが、先日が初めて生きている鰻に触る機会があった。といっても、ご主人がつかんでいる鰻の頭のあたりを人差し指でちょんとつつかせてもらったという程度だが、その弾力と、思いのほか明るい灰色の色合いは、大きなおたまじゃくしを思わせるものだった。地物(じもの)とはその土地で漁獲されたものをいうが、鰻においてその定義はまことに曖昧である。鰻の一生は、海で生まれ、川や湖で大きくなり、ふたたび海の中で卵を生むといわれているが、その回遊ルートはいまだはっきりしていない。天然鰻と呼ばれる川や湖で棲息している鰻も、生まれはどこかはるかなる南の海の彼方なのだ。とはいえ掲句の鰻は、どうも長旅を経た天然物ではなく、「いえ、もうそこらの養殖ものなんです」と恥じ入って、ひとかたまりに身をよじっているような、ユーモアとペーソスが交錯している姿に見える。〈やくたいもなき夜盗虫ころがしぬ〉〈そそるとは無花果の口半開き〉『婆娑羅』(2010)所収。(土肥あき子)


July 2672010

 カレー喰ふ夏の眼をみひらきつ

                           涌井紀夫

さには熱さと辛さで対抗だ。冷房など効いていない自宅か海の家みたいなところでか、「喰ふ」というのだから、作者の健啖ぶりが強く示されている。何度も意識的に「眼をみひらか」ないでおくと、汗が瞼を伝って目に流れ込んできてしまう。たぶんに心理的な要素がからんではいるけれど、誰にも覚えはあるだろう。こうした何でもないような身体の動きをとらえて、暑い時間にカレーを喰らう男の元気な様子を描出すると同時に、周囲の夏真っ盛りの情景までをも読者に想起させている。なかなかに巧みな「味」のある作品だ。作者の涌井紀夫は、最高裁判事として在職中の昨年暮れに、病に冒され亡くなった。煙草はまったく喫わなかったようだが、肺癌に倒れた。享年六十七。私とは少し縁があって、1960年の京大俳句会で束の間一緒だったことがある。端正な若き日の面差しを覚えている。合掌。俳誌「翔臨」(第68号・2010年6月)所載。(清水哲男)




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