父の病院へ退院相談に。退院できても自宅には戻れないだろう。(哲




2010ソスN7ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2272010

 ネクタイを肩に撥ねあげ泥鰌鍋

                           広渡敬雄

日は大暑。二十四節季のちょうど中間の十二番目にあたり一年のちょうど折り返し点といったところ。アスファルトが揺れるほど暑いときには熱いものを食べて汗をかくべし。泥鰌は土の中でも生きて活発に動くので「土生」とも書くと新聞に載っていた。その説によると泥鰌一匹は鰻一匹と同レベルの栄養があるという話だから、土用には持ってこいの食べ物ということだろう。泥鰌とくれば浅草だけど、関西ではあまり泥鰌を食べさせる店を見かけなかったように思う。今はどうなのだろう。ネクタイ姿で泥鰌鍋を食べるには撥ね飛ぶ汁が心配。掲句ではネクタイを「肩に撥ね上げ」という動作がいなせで、暑さに負けない勢いが伝わってくる。はふはふと息をはずませて食べる泥鰌鍋はさぞおいしいことだろう。『ライカ』(2009)所収。(三宅やよい)


July 2172010

 楽屋着も替えて中日や夏芝居

                           中村伸郎

者は夏の稽古場では、たいてい浴衣を着ている。からだにゆるくて動きやすいからである。若い役者はTシャツだったりする。掲句は本公演中での楽屋着である。こちらも趣味のいい柄の浴衣を、ゆったりと着こなしていたりする。公演も中日(なかび)頃になれば、楽屋着も替えるのは当然である。舞台ではどんな役を演じているにしても、楽屋ではがらりとちがった楽屋着にとり替えて、楽屋仲間や訪問客と気のおけない会話をかわすひとときでもある。楽屋着をとり替えて、さて、気分も新たに後半の公演にそなえようというわけである。舞台とはちがった楽屋のゆったりとした雰囲気が、それとなく感じられるような句である。江戸時代、夏は山王や神田をはじめ祭が盛んで、芝居興行は不振だったことから、若手や地位の低い役者が一座を組んで、力試しに興行したのが夏芝居や夏狂言だった。掲句の「夏芝居」は、もちろん現代の夏興行の芝居を指している。後藤夜半に「祀りある四谷稲荷や夏芝居」がある。伸郎(のぶお)は文学座から最後は劇団「円」の代表となった。この役者の冷たいまでに端正な風貌とねじ込んだようなセリフまわしは、小津映画や黒澤映画でもお馴染みだった。随筆・俳句集『おれのことなら放っといて』がある。平井照敏編『俳句歳時記・夏』(1969)所載。(八木忠栄)


July 2072010

 水桶に女の屈む朝曇

                           城倉吉野

日土用の入り。いよいよ日本のもっとも厳しい時節に足を踏み入れたわけだが、エアコンも扇風機もない時代から繰り返し乗り越えてきていることを思えば、暑いのは夏の取り柄なのだとわずかに開き直る心持ちにもなる。「朝曇(あさぐもり)」とは、「日照りの朝曇り」という言葉があるように、明け方どんよりと曇っていても、日中は辟易するような炎天になることをいう。高気圧に覆われていると風が弱いため、夜間は上層より下層の空気が冷え、雲ができやすくなっていて、いっとき朝方は曇っているが、日射により雲はみるみる消えてしまう、というれっきとした気象現象である。しくみはどうあれ、「ともかく今日は暑くなる」という体験による確信が伝わる季語であることから、掲句の屈む女の姿が際立つ。水桶に張った水面に映るどんよりと濁る曇天に、女のこれからの労働と、その背景に容赦なく照りつける太陽がもれなくついてまわる一日を思わずにいられない。日本人の生活感覚として確立された季語の、まさに本領発揮という一句である。〈千人の僧のごとくに夕立かな〉〈天の川ひとは小さな息をして〉『風の形』(2010)所収。(土肥あき子)




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