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2010ソスN7ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1472010

 つめたい爪で戦争がピアノ弾いてゐる

                           天沢退二郎

ではなく、「つめたい爪」がピアノを弾いている、ととらえている。その「爪」は戦争のそれである。「つめたい」といっても、それを冬の季語などと堅苦しく限定することは、この場合むしろナンセンスであろう。戦争は「熱い」とするのが一般的かもしれないが、いっぽうで「冷たい戦争」「冷戦」という言い方がある。擬人化された戦争が鋭く尖った冷酷な爪をかまえて、ピアノの鍵盤をかきむしっているという、モンスターめいた図は穏やかではない。いや、戦争が冷たかろうが熱かろうが、穏やかであるはずがない。戦争というバケモノが恐ろしい表情と風体で、現に世界の各地で激しく、また密かにピアノを怪しく弾いているではないか。愚か者どもによるピアノ演奏を止めるのは容易ではないどころか、ますます激昂して拍手を送る徒輩さえいる。そういえばポランスキーの「戦場のピアニスト」という映画があった。また、古い記憶を遡って、粟津潔の映像作品「ピアノ炎上」(1973)を想起した。消防服を着た山下洋輔が燃えているピアノを弾いて、燃え崩れるまで弾きつづけたもので、今もパソコンで映像にアクセスすることができる。退二郎は高野民雄らと「蜻蛉句帳」を出しつづけている。同誌に「帆船考」として退二郎は掲句の他に、自在に詠んだ「列島をうそ寒き夏の這い登る」など六句と、「ふんどしを締めて五月の猫走る」など十五句を一挙に発表している。「蜻蛉句帳」44号(2010)所載。(八木忠栄)


July 1372010

 白玉にゑくぼをつけてゐるところ

                           小林苑を

玉とは、米からできた白玉粉で作る団子のこと。真珠をさす白玉という言葉が使われたこの美しい団子は、平安時代には汚れのない白さが尊ばれ、宗教上の供物として使われていた。作り方は単純明快。1)白玉粉を同量の水でこね、2)手のひらの上でくるくると丸め、3)たっぷりのお湯に投入し、4)浮き上がってしばらくしたら引きあげる。掲句は、団子に火を通しやすくするため、十円玉くらいに丸めた白玉に指の腹で窪みをつける2の手順における作業である。これが単なる段取りに映らないのは、前述の供物的な背景が影響しているわけでもなく、ただひたすらその純白な姿かたちの愛らしさに共鳴するものである。熱湯から引きあげられた白玉は、氷水に放たれ目の前でみるみる冷えていく。手のひらの上で生まれ、指の腹でやさしく刻印されたゑくぼを持つこの菓子のおだやかな喉越しは、夏負けの身体を内側から静かな涼気で満たしてくれる。〈蟻穴を出てもう一度穴に入る〉〈爪先を立てて水着を脱ぎにけり〉『点る』(2010)所収。(土肥あき子)


July 1272010

 梅丁寧に干し晩年と思ひけり

                           関 芳子

人はもとより、誰にもその人の「晩年」はわからない。晩年とは、その人の死後に生き残った人たちがその人のある年月を定義する言葉である。だから句の「晩年」は言葉遣いとしてはおかしいのだが、しかし主観的には死の間近さをこのように感じることはありそうだ。毎年くりかえして同じように梅を干してきたが、気がつけば今年はずいぶんと丁寧に干したのだった。このようないわばルーティンワークに、半ば無意識にせよ特別な気遣いをしたということは、死がそう遠くはないからなのかもしれない。そうでなければ、梅のひとつぶひとつぶをいとおしむような行為が自然にわいてくるはずもない。作者はそう思い、わがことでありながらあえて「晩年」という言葉を使った。この心理は若い人にはわかるまいが、高齢者には多かれ少なかれ普通についてまわるものだ。むろん、私とて例外ではない。性来がずぼらなのに、ときどきこれではいけないと何かをやり直したりするようになった。「晩年」と結びつけたくはないけれど、そうなのかもしれない。いずれにしても、年を取ってくると、これまでになかったような行為に我知らずに出ることがあるのは間違いないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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