笑った政党泣いた政党。でも暮らし向きが変わらない国民は無表情。(哲




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July 1272010

 梅丁寧に干し晩年と思ひけり

                           関 芳子

人はもとより、誰にもその人の「晩年」はわからない。晩年とは、その人の死後に生き残った人たちがその人のある年月を定義する言葉である。だから句の「晩年」は言葉遣いとしてはおかしいのだが、しかし主観的には死の間近さをこのように感じることはありそうだ。毎年くりかえして同じように梅を干してきたが、気がつけば今年はずいぶんと丁寧に干したのだった。このようないわばルーティンワークに、半ば無意識にせよ特別な気遣いをしたということは、死がそう遠くはないからなのかもしれない。そうでなければ、梅のひとつぶひとつぶをいとおしむような行為が自然にわいてくるはずもない。作者はそう思い、わがことでありながらあえて「晩年」という言葉を使った。この心理は若い人にはわかるまいが、高齢者には多かれ少なかれ普通についてまわるものだ。むろん、私とて例外ではない。性来がずぼらなのに、ときどきこれではいけないと何かをやり直したりするようになった。「晩年」と結びつけたくはないけれど、そうなのかもしれない。いずれにしても、年を取ってくると、これまでになかったような行為に我知らずに出ることがあるのは間違いないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


July 1172010

 選挙カー連呼せず過ぐ青田道

                           日下徳一

日は参議院議員選挙投票日ということで、選挙にまつわる句です。選挙といえば選挙カーのやかましい連呼を取り上げたくなりますが、そこをひとひねりして、連呼していないところを詠んでいるのがこの句のミソです。たしかに、聞く人がいなければ連呼する必要はないのだなと、あたりまえのことに改めて納得させられてしまいます。それよりもなによりも、この句を読んでいると、なんだかくっきりとした線のイラストを思い浮かべてしまいます。選挙という、まさに人の世の生々しい出来事を詠みながら、そんなことからは離れて、盛夏に真っ白な雲が遠景に浮かび、青田の間の道をはるか遠目に通過してゆく選挙カーのすがすがしい映像が、ジブリアニメのタッチで見えてきます。車の中では、さきほどまで声をからして叫んでいた女性が、冷たいお茶を飲んでしばし休憩でもしているのでしょうか。その顔さえ、なんだかジブリ映画によく出てくる、鼻筋の通った一途な女性の横顔になっています。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年7月5日付)所載。(松下育男)


July 1072010

 まくなぎを抜け出して来て一人酒

                           星野半酔

号から推察してもお酒が嫌いではない作者だろう。〈荒塩があれば事たる霰酒〉〈ささ塩を振りて一人の小鰺かな〉などとも詠まれているので、お酒は好きなものを好きな時にじっくり一人で楽しむのを是とするタイプ。会話や酔うことを目的に飲むのではなく、お酒そのものが好きなのだ。まくなぎ、めまとひ。糠蛾とはよく言ったものだと思う。ただでさえ蒸し暑いのにともかくまとわりつき、立ち止まれば不思議と止まり、うっとおしいことこの上ない。そんなまくなぎを本当に抜けてきたのかもしれないが、何かをまくなぎになぞらえているのだとすれば、それはただの人混みなのか酒宴の喧噪か。後者だとすると、それなら大勢での酒席には行かなければいいのだが、なかなかそうもいかないし逆に、やれやれ、とその後じっくり飲む一人酒はことさらしみるのだろう。お目にかかってみたかったな、と思わせる遺句集『秋の虹』(2009)所収。(今井肖子)




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