消費税は本当に焦点なのか。マスコミによるフレームアップのような。(哲




2010ソスN7ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0672010

 街で逢ふ産月らしき白日傘

                           小澤利子

ろそろ日差しも真夏を感じさせるほどの強烈さに。産月(うみづき)は臨月と同様、出産する予定の月をいう。出産を間近に控えた大きなお腹を抱えた女性が、白日傘をさしているという掲句。今や日焼けを嫌う女性にとって日傘は四季を通して使われているが、盛夏に大きなお腹の女性を思えばそれだけで「いやはやご苦労さまです」と、ねぎらいたくなる。白日傘は自分だけに傾けているのではなく、もうすぐこの世に誕生する小さな命にも「今日も暑いね」と語りかけるように差しかけているのだろう。妊婦の友人に聞いた一番愉快に思った話しは、食後に必ずお腹を蹴られるということだった。胃袋がふくれることで居場所が圧迫され、「せまーい」と不満を訴えているのだという。こっちは確かに広いけど、しんどいことも結構多いよ。でも、楽しいこともたくさんあるから、さあ、そろそろ真夏の子として生まれておいで。〈ラムネ飲み雲の裏側おもひをり〉〈まな板をはみ出してゐる新若布〉『桐の花』(2010)所収。(土肥あき子)


July 0572010

 吊革の誰彼の目の遠花火

                           相子智恵

めを辞めてから一年が経った。ほとんど電車には乗らなくなった。たまに乗ると、あまり混んでいなくてもひどく疲れる。バスにはよく乗るけれど、こちらはそんなに疲れない。何故かと考えてみるに、バスの乗客はほとんどが同じ地域に暮らす人々なので、なんとなく親近感を持てるからではないかと思う。比べて電車の乗客にはそういうことがない。つまり、電車の乗客のほうが匿名性が高いのである。その匿名性の圧力に疲れてしまうのだ。句のような帰宅客を乗せた車内では、一日の肉体的な疲れもあるのでなおさらだろう。みんなが、早く自分の駅に着かないかと、それだけを願っている。そんな乗客の目に、遠花火が写り込んできた。「誰彼」と言わず、みんなが吊革につかまりながらそちらをいっせいに見やっている。ほんの束の間だけれども、このときに匿名性が少し緩む。ばらばらの思いや感情が、花火を通してすうっと一体になるような……。思わずも口元がほころびそうになるような短い時間を巧みにとらえた句だと読んだ。「俳句」(2010年7月号)所載。(清水哲男)


July 0472010

 大揚羽教師ひとりのときは優し

                           寺山修司

の句の初出は昭和29年の「蛍雪時代」ということですから、高校3年生の時の作者が、初々しく詠んだ句となります。今では、教師が優しいのはあたりまえというか、優しくなければ問題になるわけですが、当時の教師像というのは、人によって差はあっても、今よりもだいぶ厳格な印象を持たれていたものです。とはいうものの、生来の人のあり方が、たかが半世紀ほどで変わるわけもありません。生徒の前ではいかめしい表情を見せていても、一人になったときには、いつもとは違う穏やかなものをたたえていたということのようです。「大揚羽」のおおぶりな書き出しが、生徒にとっての教師の大きさに、自然とつながっています。また、「ひとり」という言葉から連想されるさびしさも、きちんと「優し」には含まれていて、この教師のこれまでの人生が、妙にいとしく感じられてきます。『寺山修司全詩歌句』(1986・思潮社)所収。(松下育男)




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