全学連国会突入から五十年。若くて貧乏で少しは純でアナーキーだった。(哲




2010ソスN6ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1562010

 受付に人のとぎれし水中花

                           高木聰輔

まで気づかなかった水中花のボトルが見えた瞬間に、さきほどまでの混雑ぶりがあらわになる。現在を描くことで過去を連想させている。水中花が感じさせる無機質な冷たさと、ゆったりともひしめくとも見える生々しい感触は、通り過ぎた時間をそのまま封じ込めているようで、どこかこころもとなく眺めている作者の視線を感じさせる。「受付」とはまたその中に座る人の存在を予感させるものでもある。入口から始まるスムーズな動線は、来訪者をまっすぐに受付へ導き、さらに希望の場所へとさばいていく。分岐の現場はなかなか定石通りにはいかず、臨機応変や当意即妙という豊かな経験からくる対応が求められながら、「受付嬢」というきらびやかな言葉が残るように、若さや美しさも同時に要求されるのも事実であろう。容姿端麗で礼儀正しく、忙しいときでも暇なときでも常ににっこりと座っていなければならないことを思うと、水中花のわずかなゆらぎが受付嬢の屈託のようにも見えてくる。『籠枕』(2010)所収。(土肥あき子)


June 1462010

 駅前のだるま食堂さみだるる

                           小豆澤裕子

れから一週間ほど、東京地方には雨模様の予報が出ている。いよいよ梅雨入りだろうか。今日は旧暦五月三日だから、降り出せば正真正銘の「五月雨(さみだれ)」である。この句が何処の駅前の情景を詠んだものかはわからないが、私などにはとても懐かしい雰囲気が感じられて好もしい。現今の駅前はどんどん開発が進み、東京辺りではもうこのような定食屋っぽい食堂もなかなか見られなくなってしまった。昔の駅前といえば、必ずこんな小さな定食屋があって、小さなパチンコ屋だとか本屋などもあり、雨降りの日にはそれらが少しかすんで見えて独特の情趣があった。まだ世の中がいまのようにギスギスしていなかった頃には、天気が悪ければ、見知らぬ人同士の心もお互いに寄り添うような雰囲気も出てきて、長雨の気分もときには悪くなかった。そこここで「よく降りますねえ」の挨拶が交わされ、いつもの駅、いつもの食堂、そこからたどるいつもの家路。この句には、そうしたことの向こう側に、昔の庶民の暮らしぶりまでをも想起させる魅力がある。さみだれている名所旧跡などよりも、こちらの平凡な五月雨のほうがずっと好きだな。この情景に、私には高校通学時のまだ小さかった青梅線福生駅の様子が重なって見えてくる。あれからもう半世紀も経ってしまった。『右目』(2010)所収。(清水哲男)


June 1362010

 香水の一滴づつにかくも減る

                           山口波津女

語は香水、夏です。香水壜の形や色の美しさはむしろ、秋の落ち着いた雰囲気につながるものがありますが、汗をかく季節に活躍するものということで、夏の季語になったのでしょう。それにしても、海外旅行の土産に、どうしてあんなに香水が幅を利かせているのだろうと思ったことがあります。考えてみればわたしなど、空港の免税店だけでしか香水と遭遇する機会はありません。もちろん使ったことなどありません。それでも、句の意味するところは感じ取ることができます。これまで、かすかな一滴づつしか使ってきていないのに、気がつけば壜の中はずいぶん減っています。自然に蒸発したわけでもなく、ほかの家族が無断で使った様子もないのであれば、この減りは間違いなく、ホンの一滴の集まりであるのだなと納得し、驚いてもいるわけです。読者は当然のことに、この一滴を、「時の推移」そのものに置き換えようとします。過ぎ去った日々を思うときに、もうこれほど月日は経ってしまったのかと、自分の年齢にあらためて驚いてしまう。そんな感情とつながっています。『俳句のたのしさ』(1976・講談社)所載。(松下育男)




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