長雨の気配が兆してきた。暦の上では明後日11日が「入梅」。(哲




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June 0962010

 梅雨の夜や妊るひとの鶴折れる

                           田中冬二

ろそろ梅雨の入り。梅の実が熟する時季に降る雨だから梅雨。また、栗の花が咲いて落ちる時季でもあるところから「墜栗花雨(ついりあめ)」とも呼ぶと歳時記に説明がある。雨の国日本には雨の呼称は数多くあるけれど、「黴雨」「梅霖」「荒梅雨」「走梅雨」「空梅雨」「梅雨晴れ」などなど、梅雨も多様な呼び方がされている。さて梅雨どき、昼夜を通して鬱陶しい雨がつづいている。妊った若妻であろうか、今夜も仕事で帰りの遅い夫を待ちながら、食卓で所在なく黙々と千代紙で鶴を折っている。「鶴は千年……」と言い伝えられるように、長寿の動物として鶴は古来尊ばれてきた。これから生まれてくる吾子が、健やかに成長してくれることと長寿を願いながら、一つ二つと鶴を折っているのであろう。静けさのなかに、雨の夜の無聊と、生まれてくる吾子に対する愛情と期待が雨のなかにもにじんでいる。冬二には『行人』『麦ほこり』など二冊の句集があるが、実作を通して「俳句は決して生やさしいものではない」と述懐している。相当に打ち込んだゆえの言葉であろう。筆者は生前の冬二をかつて三回ほど見かけたことがあるけれど、長身痩躯で眼鏡をかけ毅然とした表情が印象に強く残っている。冬二の句に「白南風や皿にこぼれし鱚の塩」がある。たまたま梅雨と鶴を組み合わせた句に、草田男の「梅雨の夜の金の折鶴父に呉れよ」がある。平井照敏編『新歳時記』夏(1990)所載。(八木忠栄)


June 0862010

 薔薇園の薔薇の醜態見てしまふ

                           嶋崎茂子

薇には愛や幸福という定番の花言葉のほかに、花の色や大きさによってそれぞれ意味を持っているらしい。小輪の白薔薇は「恋をするには若すぎる」、中輪の黄薔薇は「あなたには誠意がない」、大輪のピンクの薔薇にいたっては「赤ちゃんができました」といささか意味深長である。ユーモア小説で著名なドナルド・オグデン・ステュワートの『冠婚騒災入門』には「求婚」の項があり、「決して間違った花を贈らないよう」と書かれている。そこに並んだ花言葉、たとえば「サボテン:ひげを剃りに行く」「水仙:土曜日、地下鉄十四丁目駅で待つ」などはもちろんでたらめだが、この薔薇に付けられたてんでな花言葉を見ていると、あながち突飛な冗談とも言えないように思えてくる。これほどまで愛の象徴とされ、贈りものの定番となった薔薇の、整然と花びらが打ち重なる姿には、たしかに永遠の美が備わっているように見える。だからこそ満開を一日でも過ぎると、開ききった花によぎるくたびれが目についてしまうのだろう。美を認める感覚はまた、価値を比較する人間の必要以上に厳しい視線でもある。20代の頃に薔薇の花束をもらったその夜のうちに、ドライフラワーにするべくあっさり逆さ吊りにしたことがある。美しい姿をそのまま維持するにはこれが一番と聞いたからだ。半ば蕾みのままの状態でなんという残酷なことをしたのだろう、と40代のわたしは思うようになった。掲句の視線も、醜態という言葉のなかに、完璧から解放された薔薇への慈しみが見られ、40代半ばあたりの自然体の薔薇が浮かぶのだった。『ひたすら』(2010)所収。(土肥あき子)


June 0762010

 父の日を転ばぬやうに歩きけり

                           長澤寛一

年の「父の日」は六月二十日。まだ先だけど、六月が近づく頃からギフトのコマーシャルがけたたましい。そんな商魂はさておき、この日は「母の日」よりもよほど影が薄いようだ。身体的にも精神的にも、幼いときからの父親との交渉は、母親のほうがより具体的であるからだろう。私にしても、父との交渉が具体的と思えたのは、最近父の身体が弱ってきてからである。父に手を貸すなどという振る舞いは、それまでついぞ無かったことだ。一般的に言っても、父親は母親よりもずっと抽象的な存在だと思う。ところでそのような具合に存在している父親のほうはといえば、掲句にもあるように、当然のことだが、いつだって具体的な感覚を持って生きている。自分が子供にとって抽象的な存在だなどとは毫も考えない。交渉が希薄なことは自覚していても、生身の人間である以上、自分はあくまでも具体的な存在としてあるのだからだ。だから「父の日」にはいっそう、いかにも父親らしく振る舞うことに気を使うわけで、足腰の弱ってきた自覚を具体的に「転ばぬ」ようにしてカバーしようとしたりする。平たく言えば、まだまだ元気なことを具体的なありようで示そうとしているのだ。この句には、そうした父親としての自覚のありようとその哀しみを、若い人から見れば苦笑ものだろうが、的確に詠みきっていると読めた。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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