菅首相誕生。何の根拠もないけれど、今度は長持ちしそうな感じ。(哲




2010ソスN6ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0562010

 東雲の茜植田の濃紫

                           西やすのり

田は田植えが終わったばかりの田。この季節、少し東京を離れると車窓に植田が広がり、田いっぱいに張られた水は、空や雲や山を豊かに映している。作者は米作りに従事されており、この句は「鍬」と題した三十句の連作の中の一句。〈古草に勢ひの鍬を入れにけり〉〈末田まで水を見に行く納涼かな〉〈目を閉ぢて明日刈る稲の声を聞く〉など、淡々と叙しながら実感のこもる句が続く。掲出句、明け方田を訪れたのだろう。東は山で、その山際がかすかに赤みを帯びてくる。夜の静けさと朝の清々しさの間のほんのひととき、明け切らない雲に息づく茜色とまだ目覚めていない一面の田の深い水の濃紫。その水が、今日も光を集め風をすべらせながら早苗を育んでいくのだろう。こうして毎日、朝に夕に田を訪れて肌で季節を感じる暮らしの中から句が生まれている。『花鳥諷詠』(2010年3月号)所載。(今井肖子)


June 0462010

 耳も眼も歯も借り物の涼しさよ

                           兼谷木実子

は補聴器、眼は眼鏡、歯は入れ歯。どれも借り物の恩恵を受けている。クローンの研究も進んでいて、そのうち、肝臓も心臓も、五臓六腑が借り物で、脳まで借り物の時代がくるかも知れない。不自由であることや老化の象徴を「涼しさ」とみなすことは「俳諧」の「諧」の伝統。涼しさよの「よ」まで含めて伝統的嗜好を踏んだつくりであると言えよう。「俳句」(2008年11月号)所載。(今井 聖)


June 0362010

 階段のひとつが故郷ハーモニカ

                           長岡裕一郎

校の階段、二階へあがる家の階段、錆びた手すりのついた公園の階段。記憶の中にしまいこんでいたそれぞれの階段が胸のうちによみがえってくる。掲句には屋内に閉ざされた階段より子供の遊び場にもなる公園の階段が似つかわしい。無季の句には永遠に持続する時間と風景が隠されている。この句の場合、学校にも家にも置きどころのない心と身体を階段に寄せてハーモニカを吹いている少年のさびしさが想像される。くぐもった音色が感じやすい少年の心持ちをなぐさめてくれる。そんな感傷的なシーンには薄暮がしっくり調和する。「ハーモニカ」が引き金になって読み手の心にも二度と戻らない時への郷愁をかきたてるのだろうか、長い間手にしていないハーモニカのひやりとした感触を思い出して懐かしくなった。『花文字館』(2008)所収。(三宅やよい)




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