沖縄の梅雨が信じられないくらいに上天気がつづいています。反動が怖い。(哲




2010ソスN5ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1052010

 苜蓿踏んで少年探偵団

                           小西昭夫

想句だろう。江戸川乱歩が創り出した「少年探偵団」は、戦前から戦後にかけて多くの少年たちを魅了した。私も虜になったひとりだが、いま振り返ってみると、魅力の秘密は次の二点に絞られると思う。その一つは登場する少年たちが大人と対等にふるまえたこと。もう一つは、掲句に関係するが、大都会が舞台であったことだ。探偵団は明智小五郎の補佐役という位置づけではあったけれど、数々の難事件に取り組むうちには、大人顔負けの活動も要求される。団長の小林少年などはなにしろピストルすら携帯していたのだから、立派な大人扱いである。しかも彼らの活躍舞台は、華やかな都・東京だ。探偵団の読者のほとんどは田舎かそれに近いところに暮らしていたので、東京というだけで胸の高鳴りを覚え、そこに住みかつ活躍する探偵団のメンバーには羨望の念を禁じ得なかったのだ。そんな読者の常で、いつしかファン気質が「ごっこ」遊びに発展してゆく。まさかピストルまでは持てないけれど、ちゃんと代替物を用意して、どこにもいるはずのない明智小五郎の指示に従い、怪人二十面相を追跡する遊びにしばし没入するというわけだ。そこで気分はすっかり探偵団になるのだが、哀しいことにここは東京じゃない。早い話が、二十面相を尾行する道も舗装などされていない田舎道であり、そこここには「苜蓿(うまごやし)・クローバー」なんぞが生えていたりする。それでも「ごっこ」に夢中になれたあの頃……。その純情が懐かしくもいとおしい。そんな思いが込められた一句だ。『小西昭夫句集』(2010)所収。(清水哲男)


May 0952010

 縞馬の流るる縞に夏兆す

                           原田青児

て、シマウマの縞は縦だったか横だったかと、にわかにわからなくなり、さっそく調べてみれば、1頭の体の中には縦も横もあり、確かに「流れる」ように全身を覆っています。こんな模様はどこかで見たことがあるなと思い起こせば、両手の指に刻まれた指紋のようであります。同じ縞模様は二つとないのだと書いてあるネットの解説に、それではなおさら指紋と同じではないかと、再び感心してしまったわけです。シマウマを詠んだ句では、かつて今井聖さんがこの欄で採り上げた「しまうまがシャツ着て跳ねて夏来る」(富安風生)が愉快に思い出されますが、どちらの句も、初夏を詠っています。緑鮮やかに生えそろった草を食むシマウマのゆったりとした姿が、夏の開放感を感じさせてくれるからなのでしょうか。それにしても、なんであんなにあざやかな模様がついているのだろうと、不思議でなりません。シマウマに限らず、複雑な模様のついた動植物を見るにつけ、地味な色で出来上がっている自分の体と人生に、なぜか思いは巡ってゆきます。『合本俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


May 0852010

 葉桜や橋の上なる停留所

                           皆吉爽雨

留所があるほどなので、長くて広い橋だろう。葉桜の濃い緑と共に、花の盛りの頃の風景も浮かんでくる。最近は、バス停、と省略されて詠まれることも多い、バス停留所。こうして、停留所、とあらためて言葉にすると、ぼんやりとバスを待ちながら、まっすぐに続いている桜並木を飽かずに眺めているような、ゆったりした気分になる。大正十年の作と知れば、なおさら時間はゆっくり過ぎているように思え、十九歳で作句を始めた爽雨、その時二十歳と知れば、目に映るものを次々に俳句にする青年の、薫風を全身に受けて立つ姿が思われる。翌十一年には〈枇杷を食ふ腕あらはに病婦かな〉〈ころびたる児に遠ころげ夏蜜柑〉など、すでにその着眼点に個性が感じられる句が並んでいて興味深い。『雪解』(1938)所収。(今井肖子)




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