四月尽。今年はまったくもって異常な春でした。さあ、新緑の季節へ。(哲




2010ソスN4ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 3042010

 鴉子離れからからの上天気

                           廣瀬直人

の子別れは夏の季語。古くからある季語だが、あまり用いた句を知らない。鴉の情愛の濃さは格別である。春、雌が巣籠りして卵を温めている間は、巣を離れらない雌のために雄が餌を運び、雌の嘴の中に入れてやる。生まれた子は飛べるようになってもしばらくは親について回り、大きく嘴を開き羽ばたいて餌をねだる。しかし、夏が近づいてくるころ、親はついてくる子鴉を威嚇して追い払う。自分のテリトリーを自分でみつけるよううながすのである。親に近づくとつつかれるようになった子鴉が、少し離れたところから親を見つめている姿は哀れを催す。そのうち子鴉はどこかに消える。親が子を突き放す日。日差しの強い、どこまでも青い空が広がっている。「俳句」(2009年6月号)所載。(今井 聖)


April 2942010

 祝辞みな未来のことや植樹祭

                           田川飛旅子

かつにもまだ今日が「みどりの日」だと思い込んでいた。本日掲載する例句を探していて平成19年から「みどりの日」が「昭和の日」になり、「みどりの日」は5月4日に移行したということに改めて気付かされた。とにかく休めたらいいや、と毎年やり過ごすうち名前が変わったことも忘れてしまったようだ。掲句は4月29日の「みどりの日」に行われた植樹祭を念頭に作られたのだろう。「みどりの日」という名前そのものは晩春から初夏の端境期にあって次の季節の明るさを先取りにしたなかなかいいネーミングだと思っていたけど、5月4日だとぴったりしすぎてぴんとこない。「昭和の日」は「激動の日々を経て復興をとげた昭和の時代を顧み、国の将来を考えるための国民の休日」と角川の俳句歳時記にはあるが、この頃は未来へ向かうより過ぎ去った時代を懐かしむほうへ傾いているようだ。昭和はそんなにいい時代だったろうか。襖一枚で行き来する大家族の生活は賑やかだったけど、自分だけの空間を持ちたいと願ったこともたびたびだった。学校の規律も乱れてはいなかったがはみだしものの悩みはそれなりに深かった。今はなかなか見通しが立たない時代だけど、掲句のように植樹し伸びてゆく樹木を寿ぐことで未来に向かう明るさを味わえたらと思う。『俳句歳時記・春』(2009・角川書店)所載。(三宅やよい)


April 2842010

 葉桜が生きよ生きよと声かくる

                           相生葉留実

海道でさえ桜は終わって、今は葉桜の頃だろうか。桜の花は、開花→○分咲き→○分咲き→満開→花吹雪→葉桜と移る、その間誰もが落着きを失ってしまう。高橋睦郎が言うように「日本人は桜病」なのかもしれない。花が散ったあと日増しに緑の若葉が広がっていくのも、いかにも初夏のすがすがしい光景である。咲き誇る花の時季とはちがった、新鮮さにとって替わる。さらに秋になれば紅葉を楽しませてくれる。「花は桜」と言われるけれど、葉桜も無視できない。花が散ったあとに、いよいよ息づいたかのように繁りはじめる葉桜は、花だけで終わりではなく、まさにこれから生きるのである。「生きよ生きよ」という声は桜自身に対しての声であると同時に、葉桜を眺めている人に対する声援でもあるだろう。葉留実には、そういう気持ちがあったのではなかろうか。彼女は二〇〇九年一月に癌で亡くなったが、掲句はその二年前に詠まれた。亡くなるちょっと前に「長旅の川いま海へ大晦日」の句を、病床でご主人に代筆してもらっている。本人が「長旅」をすでに覚悟していた、そのことがつらい。他に「春の水まがりやすくてつやめける」の句もある。もともとは詩人として出発した。処女詩集『日常語の稽古』(1971)に、当時大いに注目させられた。いつの間にか結社誌「槙」→「翡翠」に拠って、俳句をさかんに作り出していた。『海へ帰る』(2010)所収。(八木忠栄)




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