かつて基地の街周辺に暮らした一人として、沖縄の苦悩はよくわかる。(哲




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April 2742010

 春の夜や朽ちてゆくとは匂ふこと

                           ふけとしこ

だやかな日が三日続かないのが春のならいとはいえ、今年は20度を超える日があったり、雪が積もるような朝があったり、ほんとうに妙な具合だった。しかし、いつしか季節はしっかりとあたたかさを増し、鍋に入れたままのカレーや、冷蔵庫に入れ損なった苺などを一晩でだめにしてしまうようになる。ことに果物は、最後の瞬間こそ自分の存在を主張するのだともいいたげに、痛んだときにもっとも香りが立つものだ。おそらく外の世界でも、木が朽ちるとき、鉄骨が錆びるとき、それぞれが持つもっとも強い匂いを発するのではないか。春の夜にゆっくり痛んでいくあれこれのなかには、もちろん我が身も含まれる。人間はどんな匂いになっていくのだろうか。そういえば傍らの飼い猫も九歳となり、猫界では高齢の域に入る。首のあたりに鼻を寄せ思いっきり深呼吸してみると、乾いた藁塚のようなふっくらいい匂いがした。『インコを肩に』(2009)所収。(土肥あき子)


April 2642010

 山峡の底に街道桐の花

                           平野ひろし

う咲いている地方もあるだろう。桐の花は遠望してこそ美しい。ちょうど、この句のように。花の撮影を得意とする人のなかでも、このことをわかっている人は少ないようだ。クローズアップで撮っても、それなりに美しくは見えるけれど、しかしやはり遠目に見る美しさにはかなわない。桐の花の季節には、野山は青葉若葉で埋め尽くされる。だから、桐の花はいつでもそうした鮮やかな緑に囲まれているわけで、遠望することにより、さながら紫煙のごとくにぼおっと煙って見える理屈だ。つまり桐の花の美は、周囲の鮮明な緑によっていっそう引き立てられるのである。その周囲の強い緑色は、桐の花をどこかはかなげに見せる効果も生む。北原白秋の第一歌集『桐の花』に書きつけられた「わが世は凡て汚されたり、わが夢は凡て滅びむとす。わがわかき日も哀楽も遂には皐月の薄紫の桐の花の如くにや消えはつべき。……」は、白秋が桐の花の美的特質をよく把握していたことを示しているだろう。掲句の作者も「山峡の底」を鳥瞰することで、みずからの美意識を表白しているのだ。百年も二百年も時間が止まってしまったかのようなこの光景は、霞んだ紫の桐の花が巧まずして演出しているわけで、その光景を即座に切り取って見せた作者の感性には、描かれた光景とは裏腹になかなか鋭いものがある。「俳句界」(2010年5月号)所載。(清水哲男)


April 2542010

 朝寝して頬に一本線の入る

                           蜂巣厚子

語は「朝寝」、春です。このところのあたたかくなった陽気につつまれて、いつまでもぐずぐずと布団の中にいることを言うようです。でも今日の句、いつまでも布団の中にいることには、なにか別に理由がありそうです。頬に一本線が入ったというのは、まちがいなく涙の流れた跡でしょう。思えば、先週採り上げた句、「蝋涙や けだものくさきわが目ざめ」(富沢赤黄男)と、同じ場面を描いていることになります。それにしても出来上がった作品は、ずいぶん印象を異にしているものです。あらためて、創作というものが持つ幅の広さに感心してしまいます。先週の句が、絵の具を分厚に塗りこんだ油絵なら、今日の句は淡い水彩画ともいえるでしょうか。先週の句には、どこかこちらが一方的に驚かされているようなところがありましたが、今週の句には、もしできることなら、この人に手を差し伸べて、なにかをしてあげたいという、そんな心持になってきます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年4月19日付)所載。(松下育男)




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