そうかカミュ『異邦人』の原文って、こんな文体だったんだ。2/4(哲




2010ソスN4ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0742010

 白露や死んでゆく日も帯締めて

                           三橋鷹女

日、四月七日は鷹女忌である。鷹女の凛として気丈で激しく、妖艶さを特長とする世界については、改めて云々するまでもあるまい。一九七二年に亡くなる、その二十年前に刊行された、第三句集『白骨』に収められた句である。鷹女五十三歳。同時期の句に「女一人佇てり銀河を渉るべく」がある。細面に眼鏡をかけ、胸高に帯をきりりと締めた鷹女の写真は、これらの句を裏切ることなく敢然と屹立している。橋本多佳子を別として、このような句業を成した女性俳人は、果たしてその後にいただろうか? 女性としての孤高と矜持が、余分なものをきっぱりとして寄せつけない。弛むことがない。「帯締めて」に、気丈な女性のきりっとした決意のようなものがこめられている。句集の後記に鷹女は「やがて詠ひ終る日までへのこれからの日々を、心あたらしく詠ひ始めようとする悲願が、この一書に『白骨』の名を付せしめた」とある。心あたらしく……掲出の句以降に、凄い句がたくさん作られている。晩年に肺癌をはじめ疾病に悩まされた鷹女は、「白露」の秋ではなく花吹雪の時季に命尽きた。それも鷹女にはふさわしかったように思われる。中原道夫の句に「鷹女忌の鞦韆奪ふべくもなく」(『緑廊』)がある。この句が名句「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」を意識していることは言うまでもない。『白骨』(1952)所収。(八木忠栄)


April 0642010

 荒使ふ修正液や桜の夜

                           吉田明子

正液は短期間にずいぶん進化したもののひとつだろう。現在の主流は、つるつるっと貼るテープ状のものと、カチカチっと振って使うペンタッチタイプのようだ。どちらもすぐに文字が書けるところがポイントで、以前の液体タイプは乾くまでしばらく待たなければならなかった。昭和52年の発売当初はマニキュアボトルのような刷毛型で、しばらく使うと刷毛がガチガチに固まり、それはもう厄介であったと聞く。修正液の上に慌てて文字を書こうとすれば、よれてしまったり、にじんでしまったり、またぞろ上から修正することにもなる。そうこうするうちに、その部分だけやけに立体的になってしまう。間違ってしまったという気持ちの萎えと、一刻も早く正しく訂正しようという焦りが失敗を生み続け、今日の修正液の改善へとつながっているのだろう。掲句にある「荒使ふ」は、荒っぽくじゃんじゃん使うという意だが、下五の「桜の夜」の効果によって、単なる文字の書き間違いというより、心の逡巡を感じさせる。ところどころに桜の花が散ったような書面を思うと、修正前の言葉を憶測して透かしてみたりしてしまうだろう。修正跡には揺れ動く作者の一瞬前の時間が封印されている。〈校庭に白線あまた春をはる〉〈ペコちゃんもポコちゃんもけふ更衣〉『羽音』(2010)所収。(土肥あき子)


April 0542010

 花疲泣く子の電車また動く

                           中村汀女

週の土曜日は、井の頭公園で花見。よく晴れたこともあって、予想以上の猛烈な人出だった。道路も大渋滞して、バスもいつもなら数分で行ける距離を三十分以上はかかる始末。花見の後の飲み会に入る前に、気分はもうぐったり。花見に疲れたのではなく、人ごみにすっかり疲れてしまったのだった。人に酔うとは、このことだろう。季語の「花疲れ」は、そういうこともひっくるめて使うようだ。掲句で、作者は花見帰りの電車のなかにいる。くたびれた身には、車内の幼児の泣き声が普段よりもずっと鬱陶しく聞こえる。そのうちに、だんだん腹立たしくなってくる。早く降りてくれないかな。停車するたびに期待するのだが、今度もまた、泣きわめく声を乗せたまま、無情にも電車は動きはじめた。がっかりである。そんな気持ちに、電車も心無しかいつもよりスピードが遅く感じられる。さりげない詠みぶりだが、市井の詩人・汀女の面目躍如といったところだ。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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