発売を前に「iPad Guided Tours」(英語)が公開されています。(哲




2010年3月31日の句(前日までの二句を含む)

March 3132010

 一二三四五六七八桜貝

                           角田竹冷

んな句もありなんですなあ。どう読めばいいの? 慌てるなかれ、「ひぃふぅみ/よいつむななや/さくらがい」と読めば、れっきとした有季定形である。本人はどんなふうに詠んだのだろうか? 竹冷は安政四年生まれ、大正八年に六十二歳で亡くなった。政界で活躍した人だが、かたわら尾崎紅葉らと「秋声会」という句会で活躍したという。こういう遊びごころの句を、最近あまり見かけないのはちょっと淋しい。遊びごころのなかにもちゃんと春がとらえられている。春の遠浅の渚あたりで遊んでいて、薄紅色の小さくてきれいな桜貝を一つ二つ三つ……と見つけたのだろう。いかにも春らしい陽気のなかで、気持ちも軽快にはずんでいるように思われる。ここで、「時そば」という落語を思い出した。屋台でそばを食べ終わった男が勘定の段になって、「銭ぁ、こまけぇんだ。手ぇ出してくんな」と言って、「ひぃふぅみぃよいつむななや、今何どきだ?」と途中で時を聞き一文ごまかすお笑い。一茶には「初雪や一二三四五六人」という句があり、万太郎には「一句二句三句四句五句枯野の句」があるという。なあるほどねえ。それぞれ「初雪」「枯野」がきちんと決まっている。たまたま最新の「船団」八十四号を読んでいたら、こんな句に出くわした。「十二月三四五六七八日」(雅彦)。結城昌治『俳句は下手でかまわない』(1997)所載。(八木忠栄)


March 3032010

 目の前をよぎりし蝶のもう遥か

                           星野高士

に付けられる副詞の定番は「ひらひら」。意外なところで「ぱたぱた」。また旧仮名の「てふてふ」も平安時代には文字通り「tefu-tefu」と発音していたというから、これこそ蝶の羽の動きそのものを表していたのだろう。しかし、実際の蝶は、モンシロチョウで時速9キロ出すというから、どちらかというと「すーっ」に近い。最速の蝶タイムを見るとタイワンアオバセセリという種が時速30キロとあって、これは原付の制限速度と同じ。あきらかに「ぴゅーっ」であろう。ところで、ある雑誌に「時速9キロでジョギングすると脳が活性化されさまざまな機能がアップし、さらに心の安定も得られる速度」という記事を見かけた。それでは、モンシロチョウに付いていけば、この効能が得られるのかと思うと、なんだか究極のダイエットとして紹介してみたくなる。というように、思わずロマンチック路線へと誘導されてしまいがちの蝶だが、実は相当たくましく、海上を1000キロも休まず飛行する強者もいる。たしかに以前クチナシの木についた芋虫を育てたことがあるが、その食欲ときたら凄まじいもので、さらにサナギになれば体内では想像もつかないバージョンアップをしてのける。掲句では下五「もう遥か」のスピード感とともに、句全体から漂う得体の知れない不安のようなものは、従来の蝶に植え付けられたイメージと実体との落差であるように思うのだ。『顔』(2010)所収。(土肥あき子)


March 2932010

 吹越や伐り出されたる柩の木

                           請関くにとし

語として使われている「吹越」は群馬県北部地方の方言で、「風花」のことだそうだ。風花は冬の季語とされるが、どうかするとこの時期にも、どこからか風に乗ってきた雪がちらつくことがある。小津安二郎だったか木下惠介だったかの映画にも、火葬場近くでのそんなシーンがあった。「吹越」は「ふっこし」と読ませるが、なかなかに趣きのある言葉だ。赤城などの山々を吹き越してくる雪片の意だろうか。それとも遠く新潟など越の国から吹き込んでくることからの命名だろうか。どちらにしても、群馬ならではと思わせる言葉である。ヒノキやキリなど、柩にするための木々が伐採されている情景のなかに、ちらちらと舞いはじめた吹越。伐られたばかりの木々にはまだ生気がみなぎっているけれど、やがてこれらの木々がそれぞれに死者を覆い火中に投ぜられることを思えば、折からの吹越は天からの哀惜の念のようにも感じられる……。切なくも美しい詠みぶりである。掲句は、文學の森が募集した第二回「全国方言俳句」の上位入選作。「俳句界」(2010年3月号)所載。(清水哲男)




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