映画『シャーロック・ホームズ』。高所恐怖症にはいささか辛い。(哲




2010ソスN3ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1832010

 パジャマから出てパジャマへ帰る遅日

                           山本純子

分の日も近づき東京もだんだんと日の暮が遅くなっている。仕事を終えてビルを出ても街がまだ明るいのがうれしい。パジャマのままで朝食をとり、出勤ぎりぎりに背広に着かえてあたふたと出てゆき、帰ってきてから普段の服へ着替える間もなくお風呂に入ってそのままパジャマになってしまう忙しいお父さんたち。背広とパジャマの入れ替わりでほとんど事が終わってしまう。たまたま早く帰ってもいつもの習慣でパジャマになってまずはビールと食卓についてテレビのスイッチを入れる。外はとみるとだいぶ暮れ方が遅くなったせいかまだまだ明るい。それなのに、早々とパジャマ姿になっているのがどこかおかしい。それにしても「遅日」という言葉にパジャマという軽快な響きがこんなに心地よいとは、この句を読んでの発見。夜のくつろぎの時間を過ごすのに部屋着派とパジャマ派がいるだろうけど、パジャマ派には過ごしやすいこれからの暖かさである。『カヌー干す』(2009)所収。(三宅やよい)


March 1732010

 梅が香や根岸の里のわび住居

                           船遊亭扇橋

う梅の季節も過ぎてしまったか。さて、巷間よく知られているくせに作者は誰?ーという掲出句である。「……根岸の里のわび住居」の句の上五には、季語を表わす何をもってきてもおさまりがいいという、不思議な句の作者は落語家であった。オリジナルは「梅が香や」だけれど、「初雪や」と置き換えてもいいし、「冷奴」でもピタリとおさまる。「ホワイトデー」だっておかしくはない。この落語家(大正〜昭和期に活躍)の名前は今やあまり知られていない。句のほうが有名になってしまい、名前などどうでもよいというわけ。落語の歴史が語られる際、この扇橋の名前はほとんど登場しないが、人格的リーダーとして名を馳せた五代目柳亭左楽の弟弟子にあたる八代目扇橋と推察される。しかし、詳細は知られていない。現・九代目扇橋の亭号は「入船亭」だけれど、古くは「船遊亭」だった。かつて文人墨客が多く住んだ根岸には、今も言わずと知れた子規庵(旧居)があり、子規はここで晩年十年を過ごした。落語関係では、近くに先代三平の記念館「ねぎし三平堂」があり、根岸はご隠居と定吉が「風流だなあ」を連発する傑作「茶の湯」の舞台でもある。「悋気の火の玉」も関連している。子規が根岸を詠んだ句に「妻よりは妾の多し門涼み」がある。そんな時代もあったのだろう。結城昌治『俳句は下手でかまわない』(1997)所載。(八木忠栄)


March 1632010

 にんげんを洗って干して春一番

                           川島由紀子

うやく春を確信できる陽気になった……のだろうか、今年の春はまだ安心できない。ともあれ、春一番は既に済み、春分の日も間近である。花粉情報は「強」と知りつつ、あたたかな風のなかにいると、きれいな水で身体中、内側から外側まですっきり洗って、ベランダに干しておきたくなるのものだ。ワンピースを着替えるように、冬の間縮こまっていた身体をつるりと脱いですみずみを丹念に洗って伸ばして、春を迎える身体をふんわり乾かしておきたい。そう、ひらひらと乾く洗濯物にまじって白いオバケ服がならんでいた大原家の庭みたいに。オバケのQ太郎は、確かに着替えや洗濯をしていたはずだ。Q太郎といえば、真っ白で頭に毛が三本と思っていたのが、中身が別にあることに気づかされた子供心に衝撃的な洗濯物だった。よく見るとオバケ服の下からちらっと見える足は黒くて、すると中身は真っ黒なオバケ、というか、足があるんならオバケでもないんじゃないの、と想像はとめどなくふくらんでいく。うららかな春の日差しのなかで、洗濯物が乾くのを待っているオバQの姿を思いながら、掲句を口ずさむのがなんと楽しいこと。〈菜の花や湖底に青く魚たち〉〈さよならは言わないつもり揚雲雀〉『スモークツリー』(2010)所収。(土肥あき子)




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