花見への誘いいろいろ。行きたいけれど、遠方だと帰りが億劫で…。(哲




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March 1732010

 梅が香や根岸の里のわび住居

                           船遊亭扇橋

う梅の季節も過ぎてしまったか。さて、巷間よく知られているくせに作者は誰?ーという掲出句である。「……根岸の里のわび住居」の句の上五には、季語を表わす何をもってきてもおさまりがいいという、不思議な句の作者は落語家であった。オリジナルは「梅が香や」だけれど、「初雪や」と置き換えてもいいし、「冷奴」でもピタリとおさまる。「ホワイトデー」だっておかしくはない。この落語家(大正〜昭和期に活躍)の名前は今やあまり知られていない。句のほうが有名になってしまい、名前などどうでもよいというわけ。落語の歴史が語られる際、この扇橋の名前はほとんど登場しないが、人格的リーダーとして名を馳せた五代目柳亭左楽の弟弟子にあたる八代目扇橋と推察される。しかし、詳細は知られていない。現・九代目扇橋の亭号は「入船亭」だけれど、古くは「船遊亭」だった。かつて文人墨客が多く住んだ根岸には、今も言わずと知れた子規庵(旧居)があり、子規はここで晩年十年を過ごした。落語関係では、近くに先代三平の記念館「ねぎし三平堂」があり、根岸はご隠居と定吉が「風流だなあ」を連発する傑作「茶の湯」の舞台でもある。「悋気の火の玉」も関連している。子規が根岸を詠んだ句に「妻よりは妾の多し門涼み」がある。そんな時代もあったのだろう。結城昌治『俳句は下手でかまわない』(1997)所載。(八木忠栄)


March 1632010

 にんげんを洗って干して春一番

                           川島由紀子

うやく春を確信できる陽気になった……のだろうか、今年の春はまだ安心できない。ともあれ、春一番は既に済み、春分の日も間近である。花粉情報は「強」と知りつつ、あたたかな風のなかにいると、きれいな水で身体中、内側から外側まですっきり洗って、ベランダに干しておきたくなるのものだ。ワンピースを着替えるように、冬の間縮こまっていた身体をつるりと脱いですみずみを丹念に洗って伸ばして、春を迎える身体をふんわり乾かしておきたい。そう、ひらひらと乾く洗濯物にまじって白いオバケ服がならんでいた大原家の庭みたいに。オバケのQ太郎は、確かに着替えや洗濯をしていたはずだ。Q太郎といえば、真っ白で頭に毛が三本と思っていたのが、中身が別にあることに気づかされた子供心に衝撃的な洗濯物だった。よく見るとオバケ服の下からちらっと見える足は黒くて、すると中身は真っ黒なオバケ、というか、足があるんならオバケでもないんじゃないの、と想像はとめどなくふくらんでいく。うららかな春の日差しのなかで、洗濯物が乾くのを待っているオバQの姿を思いながら、掲句を口ずさむのがなんと楽しいこと。〈菜の花や湖底に青く魚たち〉〈さよならは言わないつもり揚雲雀〉『スモークツリー』(2010)所収。(土肥あき子)


March 1532010

 春の夢気の違はぬがうらめしい

                           小西来山

山は、元禄期大阪の代表的俳人。芭蕉より十歳年下だが、交流の記録はないそうだ。上島鬼貫とは親しかった。来山というと、たいてい掲句が引用されるほど有名だが、一見川柳と見紛うばかりの口語調にもあらわれているように、俗を恐れぬ人であった。前書きに「淨しゅん童子、早春世をさりしに」とあり、五十九歳にして得た後妻との子に死なれたときの感慨である。この句を川柳と分かつポイントは、「春の夢」を季語としたところだ。「春の夢」はそれこそ俗に、人生一場の夢などと人の世のはかなさに通じる比喩として伝えられてきている。その意味概念は川柳でも俳句でも同じことだ。だが、川柳とは違い、季語「春の夢」はその夢の中身にはさして注目はしないのである。どんなに華やかな内容だったか、どんな艶なるシーンだったのかなどという詮索は無用とする気味が強い。この季語で大切なのは、目覚めたあとの現実との落差のありようなのであって、その落差をどう詠むかがいわば腕の見せ所となる。子を亡くした父親が、いかにプロの俳人だからとはいえ、文語調で澄ましかえって詠んだのでは、おのれの真実は伝わらない。口語調だからこそ、手放しで哭きたいほどの悲しみが伝えられる。つまり、彼は季語としての「春の夢」の機能を十全に活用し、「落差」に焦点をあてているわけだ。間もなくして来山も没したが、辞世は「来山は生まれた咎で死ぬる也それでうらみも何もかもなし」であったという。荘司賢太郎「京扇堂」所載。(清水哲男)




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