認知症専門病院見学。精神病院の一種だが、ここでは車椅子生活が普通。(哲




2010年3月16日の句(前日までの二句を含む)

March 1632010

 にんげんを洗って干して春一番

                           川島由紀子

うやく春を確信できる陽気になった……のだろうか、今年の春はまだ安心できない。ともあれ、春一番は既に済み、春分の日も間近である。花粉情報は「強」と知りつつ、あたたかな風のなかにいると、きれいな水で身体中、内側から外側まですっきり洗って、ベランダに干しておきたくなるのものだ。ワンピースを着替えるように、冬の間縮こまっていた身体をつるりと脱いですみずみを丹念に洗って伸ばして、春を迎える身体をふんわり乾かしておきたい。そう、ひらひらと乾く洗濯物にまじって白いオバケ服がならんでいた大原家の庭みたいに。オバケのQ太郎は、確かに着替えや洗濯をしていたはずだ。Q太郎といえば、真っ白で頭に毛が三本と思っていたのが、中身が別にあることに気づかされた子供心に衝撃的な洗濯物だった。よく見るとオバケ服の下からちらっと見える足は黒くて、すると中身は真っ黒なオバケ、というか、足があるんならオバケでもないんじゃないの、と想像はとめどなくふくらんでいく。うららかな春の日差しのなかで、洗濯物が乾くのを待っているオバQの姿を思いながら、掲句を口ずさむのがなんと楽しいこと。〈菜の花や湖底に青く魚たち〉〈さよならは言わないつもり揚雲雀〉『スモークツリー』(2010)所収。(土肥あき子)


March 1532010

 春の夢気の違はぬがうらめしい

                           小西来山

山は、元禄期大阪の代表的俳人。芭蕉より十歳年下だが、交流の記録はないそうだ。上島鬼貫とは親しかった。来山というと、たいてい掲句が引用されるほど有名だが、一見川柳と見紛うばかりの口語調にもあらわれているように、俗を恐れぬ人であった。前書きに「淨しゅん童子、早春世をさりしに」とあり、五十九歳にして得た後妻との子に死なれたときの感慨である。この句を川柳と分かつポイントは、「春の夢」を季語としたところだ。「春の夢」はそれこそ俗に、人生一場の夢などと人の世のはかなさに通じる比喩として伝えられてきている。その意味概念は川柳でも俳句でも同じことだ。だが、川柳とは違い、季語「春の夢」はその夢の中身にはさして注目はしないのである。どんなに華やかな内容だったか、どんな艶なるシーンだったのかなどという詮索は無用とする気味が強い。この季語で大切なのは、目覚めたあとの現実との落差のありようなのであって、その落差をどう詠むかがいわば腕の見せ所となる。子を亡くした父親が、いかにプロの俳人だからとはいえ、文語調で澄ましかえって詠んだのでは、おのれの真実は伝わらない。口語調だからこそ、手放しで哭きたいほどの悲しみが伝えられる。つまり、彼は季語としての「春の夢」の機能を十全に活用し、「落差」に焦点をあてているわけだ。間もなくして来山も没したが、辞世は「来山は生まれた咎で死ぬる也それでうらみも何もかもなし」であったという。荘司賢太郎「京扇堂」所載。(清水哲男)


March 1432010

 手をはなつ中に落ちけりおぼろ月

                           向井去来

味をたどってゆく前に、一読、なにかぐっとくるなと感じる句があります。それはおそらく、語と語との関係性以前に、語それぞれが、すでにきれいな姿をもち、わたしたちに与えられてしまう場合です。本日は、まさにそのように感じることのできる句です。「手」「はなつ」「落ちけり」「おぼろ」「月」、どれも十分に魅惑的に出来上がっています。さて、「手をはなつ」というのですから、それまで握り合っていた手を放すということ、つまりは別れの場面なのだと思います。その、手と手が離れた空間の中に、朧月がちょうど落ちてゆくというのです。ということは、作者の視点は別れる人たちの中間にあることになりますが、そこはそこ、作者の想像による視点の移動と考えたほうがよいのでしょう。別れてゆくつらさを感じているのは、まさに作者自身であり、それまで握っていた手が、大きさの違う異性のものであると感じてしまうのは、「おぼろ月」という語から発散されるロマンチシズムによるもののようです。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)




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