週刊誌に飛び交うバカアホ呼ばわり。お前の方がバカアホに見えるけど。(哲




2010ソスN3ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0532010

 山桜の家で児を産み銅色

                           たむらちせい

にはあかがねのルビあり。山桜が咲いている山間の家で児を産んで銅色の肉体をしている女。そういう設定である。山桜が咲いている家だからといって山間に在るとは限らないが作者の思いの中にはおそらくそういう土着の生活がある。銅色を、生まれてきた赤子の色と取る読み方もあろうが、そうすると、銅色の肌をして生まれてきた赤子には別の物語を被せなくてはならなくなる。赤子にとっては異様な色だからだ。産んだ側が銅色なら、それは日焼け、労働焼けの逞しさということで一般性を基盤に置いて考えることができる。リアルのためには一般性も大事なのだ。近似するテーマを持つ句として例えば金子兜太の「怒気の早さで飯食う一番鶏の土間」がある。山桜のある家で児を産んで育てている銅色の肌をした逞しい女が早朝どんぶりに山盛りに盛った飯を、その女の亭主が怒気を孕むかのような食いっぷりでがっついているという物語を考えてみれば、この二句の世界の共通性に納得がいく。俳誌「青群」(2010年春号)所載。(今井 聖)


March 0432010

 三月くる葦の根に泡貝に泡

                           ふけとしこ

月に入るとぐっと気温が上がり、植物の生育も活発になる。固くしまっていた木の芽もほころび始める。一日の平均気温が五度を上回るようになると、根から吸い上げた水分を幹から枝先へ運ぶようになると気象協会の説明書きにあった。だとすると、木の幹に耳をすませば幹の中を流れる水音が聞こえるかもしれない。掲句では水の中にある葦の根にぷくぷく出てくる銀色の泡と貝の泡が春の息吹を感じさせる。葦には水質浄化作用があり、コンクリートで固めてダメになった生態系回復のため、いったんは刈り込んだ葦を再び育て始める河口も多いと聞く。美しい写真とセットになったこの句の脇には「淀川べりを歩いた。葦の地下茎から芽が出初めていた。」と添え書きがある。植物にまつわるエッセイと俳句と写真がセットになったこの本はとても楽しい。小さな道端の草や花に心をとめる作者ならではの一冊で、その積み重ねが俳句や文章になってちりばめられている。『草あそび』(2008)所収。(三宅やよい)


March 0332010

 雛買うて祇園を通る月夜かな

                           若山牧水

日は桃の節句、雛祭り。本来は身体のけがれを形代(かたしろ)に移して、川に流す行事だったという。のちに形代にかえて、雛人形を家に飾るようになった。女児を祝う祭りとなったのは江戸時代中頃から。掲出句は雛を買うのだから、三月三日以前のことである。酒好きな牧水のことゆえ、京の町のどこぞでお酒を飲んでほろ酔い機嫌。買った雛人形を大事に抱えて(いつもなら、酒徳利を大事に抱えているのだろうが)、今夜は月の出ている祇園を、ご機嫌で鼻唄でもうたいながら歩いて帰るところかもしれない。雛人形も、祇園の町も、照る月も、そして自分も、すべて機嫌がいいという句である。滅多にない幸福感。「通る」は一見平凡な表現のように思われるけれど、少々心もふくらんで「まかり通って」いる状態なのかもしれない。この句からは、誰もが「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」(晶子)を想起するかもしれない。しかし、この句の場合は「よぎる」よりも「通る」のほうが、むしろさっぱりしていてふさわしいように思われる。短歌と俳句は両立がむずかしいせいか、俳句を作る歌人は昔も今も少ない。それでも齋藤茂吉や吉井勇、会津八一をはじめ何人かは俳句を残している。牧水の句も多くはないけれど、他に「一すじの霞ながれて嶋遠し」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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