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February 1722010

 冬籠或は留守といはせけり

                           会津八一

の寒さを避け温かい家のなかにこもって、冬をやり過ごすのが「冬籠」だけれど、「雪籠」とも言う。私などのように雪国に生まれ育った者には、軒下にしっかり雪囲いを張りめぐらせた家のなかで、身を縮める「雪籠」のほうにより実感がある。雪国新潟に生まれた八一も同様だったかもしれない。雪はともかく、家にこもって寒い冬をやり過ごすというこの季語は、今の時代にはとっくに死語になってしまっているようだ。けれども、とても情感のある好きな言葉ゆえつい使いたくなる。「或(あるい)は」は「どうかすると」とか「ある場合は」という意味だから、家人をして「先生は今留守です」と言わせて、居留守を使うことがあるのであろう。何をしているにせよ、していないにせよ、こもっている時の来客への応対は面倒くさい。そんな時は「留守」を許していただきたいね。居留守と言えば、私の大好きなエピソードがある。加藤郁乎が師とあおいでいた吉田一穂を、ある日自宅に訪ねた時のこと。玄関で「先生!」と来訪を告げると、家のなかから「吉田はおらん!」と本人が大声で答えた。奥様が出て来て「そんなわけですから、また出直して来てください」と頭を下げられたという。いかにも吉田一穂。今どきは勧誘の電話だって容赦なく入り込んでくるのだから、始末が悪い。八一には「凩や雲吹き落す佐渡の海」の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


February 1622010

 北窓を開きて船の旅恋ふる

                           西川知世

港地と洋上を繰り返し進む船旅は、地球をまんべんなくたどるという醍醐味をしっかり味わうことができる旅だろう。雲の上をひとっ飛びして目的地へ到着する時短の旅とは違う贅沢な豊かさがある。冬の間締め切ったままにしてあった北窓を開き、船の旅を恋うという掲句には、招き入れた春の光りのなかに開放的になった自身の心のありようを重ねている。船の小さい窓から波の向こうに隠れている未知の地を思い描くおだやかな興奮が、これから春らしさを増す未知なる日々への期待に似て胸を高鳴らせているのだ。深く沈んだような北向きの部屋が、明るい日差しのなかでひとつひとつを浮かびあがらせ、きらきらと光るほこりの粒さえ、新鮮な喜びに輝いて見えるものだ。そして、そんな幸せに囲まれたときほど、どこか遠くへの旅を無性に恋うものなのである。〈母に客あり春の燈のまだ消えず〉〈硝子屋の出払つてゐる夏の昼〉『母に客』(2010)所収。(土肥あき子)


February 1522010

 さわやかに我なきあとの歩道かな

                           清水哲男

節外れの句で失礼。「さわやか(爽やか)」は秋の季語。今と違ってこのページをひとりでやっていたときに、毎年の誕生日には、自分の句のことを書いていた。自句自解なんて、大それた気持ちからではない。言うならば、自己紹介みたいな位置づけだった。今年はたまたま今日に当番が回ってきたので、同じ気持ちで……。自分の死後のことを漠然と思うことが、たまにある。べつに突き詰めた思いではないのだけれど、死は自分が物質に帰ることなのだから、実にあっけらかんとした現象だ。そこに残る当人の感情なんてあるわけはないし、すべては無と化してしまう。その無化を「さわやか」と詠んだつもりなのだが、こう詠むことは、どこかにまだ無化する自分に抗いたいという未練も含まれているようで、句そのものにはまだ覚悟の定まらない自分が明滅しているようである。この句を同人詩誌「小酒館」に載せたとき、辻征夫が「辞世の句ができたじゃん」と言った。ならば「オレは秋に死ぬ運命だな」と応えたのだったが、その辻が先に逝ってもう十年を越す歳月が流れてしまった。この初夏、余白の仲間を中心に、辻の愛した町・浅草で偲ぶ会がもたれることになっている。『打つや太鼓』(書肆山田・2003)所収。(清水哲男)




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