東京に雪の予報が出ています。これがこの冬最後の雪でしょうね。(哲




2010ソスN2ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1122010

 動き出す春あけぼのの電気釜

                           小久保佳世子

はあけぼの やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて―と、国語の時間に繰り返し暗唱させられたそのむかしから、春とあけぼのは私の中でぴったりセットになっている。夏の朝は水の匂いがするけど、春の夜明けはほんわかとした布の手触り、ふわふわと期待に満ちたピンク色の時間帯だ。掲句のように我が家でも最初に活動を始めるのは炊飯器なのだけど、こう書かれてみると電気釜が生き物のようでおかしい。「電気釜」にかかる「春あけぼの」の古典的言葉の効果でタイマーが入ってしゅっしゅっと動き始める炊飯器の蒸気がうすくたなびく東雲のようだ。こうした言葉の斡旋で見慣れた台所の朝の光景を一変させている。書きぶりは真面目だけど、何かしらおかしみを含んだ作品に上質なユーモアのセンスを感じる。「謝る木万歳する木大黄砂」「春の港浮雲と我を積み残し」『アングル』(2009)所収。(三宅やよい)


February 1022010

 猪突して返り討たれし句会かな

                           多田道太郎

太郎先生が亡くなられて二年余。宇治から東京まで、熱心に参加された余白句会とのかかわりに少々こだわってみたい。「人間ファックス」という奇妙な俳号をもった俳句が、小沢信男さん経由で一九九四年十一月の余白句会に投じられた。そのうちの一句「くしゃみしてではさようなら猫じゃらし」に私は〈人〉を献じた。中上哲夫は〈天〉を。これが道太郎先生の初投句だった。その二回あと、関口芭蕉庵での余白句会にさっそうと登場されたのが、翌年二月十一日(今からちょうど十五年前)のことだった。なんとコム・デ・ギャルソンの洋服に、ロシアの帽子というしゃれた出で立ち。これが句会初参加であったし、宇治からの「討ち入り」であった。このときから俳号は「道草」と改められた。そのときの「待ちましょう蛇穴を出て橋たもと」には、辛うじて清水昶が〈人〉を投じただけだった。「待ちましょう」は井川博年の同題詩集への挨拶だったわけだが、博年本人も無視してしまった。他の三句も哀れ、御一同に無視されてしまったのだった。掲出句はその句会のことを詠んだもので、「返り討ち」の口惜しさも何のその、ユーモラスな自嘲のお手並みはさすがである。「句会かな」とさらりとしめくくって、余裕さえ感じられる。句集には「余白句会」の章に「一九九五年二月十一日」の日付入りで、当日投じた三句と一緒に収められている。道草先生の名誉のために申し添えておくと、その後の句会で「袂より椿とりだす闇屋かな」という怪しげな句で、ぶっちぎりの〈天〉を獲得している。『多田道太郎句集』(2002)所収。(八木忠栄)


February 0922010

 切断されし指を感ずる木々芽吹く

                           ドゥーグル・J・リンズィー

春を過ぎ、光りが存分にあふれる頃になると、あちらこちらの梢の先がほの赤く染まっているのを意識する。木々の芽吹きを思うと、亀が手足を出すにも似て、もそもそっとくすぐったい心地となる。葉を落し、ふたたび芽吹く木の循環。幹を身体にたとえれば、払い落した指の場所からまた指先が生えてくるようだと、言われてみれば確かにそうで、前述の亀の想像よりずっと実感を伴う感触に襲われる。海洋学者でもある作者は、切断されたのち、いともたやすく再生することができるタコやヒトデなどの海洋生物と向き合っており、木々もまたそれほど遠くない生きものに映っているのかもしれない。引きかえ、ほとんど再生不能な人間が苦しいほど不器用に生きているように見えてくる。〈胎盤の出来るころなり薄ごほり〉には第二子懐妊の前書がある。日々の多くを海の上(というか深海)で過ごしている作者の遠隔地からの季感の訴えには、妻や子の暮らす地上への強い思いとともにあるようだ。〈我が船の水脈を鯨が乱しけり〉『出航』(2008)所収。(土肥あき子)




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