退院する父のヘルプで病院行き。実家と二往復はせねばなるまい。(哲




2010ソスN2ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0622010

 春浅し心の添はぬ手足かな

                           多田まさ子

にが嫌、というわけでもなく、どこか具合が悪い、というわけでもなく、今日も朝から忙しく働いて1日が過ぎる。これ以上青くはなれない二月の空、ひとあし先に春めいてきた日差しとまだまだ冷たい風。そんな季節の狭間の戸惑いに、内なる戸惑いが揺り動かされ、静かに作者の中に広がる。春の華やぎの中で感じる春愁より、季節も心持ちも茫洋としてつかみどころがない。でも風が冷たい分、その心情はすこし寂しさが強いように思う。ともかく、しなければならないことが山積みでゆっくり考えているヒマがないことが良いのか悪いのか。ただ、こうして動いている手足は自分のもので、これからはだんだん暖かくなっていくのだ、ということは確かなのである。『心の雫』(2009)所収。(今井肖子)


February 0522010

 散り敷きて雪に蒼みし霰かな

                           高島 茂

句の風景描写を服装のコーディネイトのごとく思うことがよくある。Yシャツは何色、上着は、ズボンは。ベルトは靴の色に合わせ、全体が暗い感じの色合いならネクタイは思い切って赤で行こうとか。いや、最近はみんな赤だから俺は緑でいこうとか。雪の上の霰を描くのは同系色の合わせ方だ。作者は白の上に白を置いてその二色を識別させる。霰の方にやや蒼い色をつけたのだ。見たこと、感じたことの経験も俳句と服は似ている。持っているものしか使えないから、それを用いるしかないが、その中でのセンスが問われるのである。『ぼるが』(2000)所収。(今井 聖)


February 0422010

 春がくる少し大きい靴はいて

                           浮 千草

日は立春。まだまだ寒いけれども陽射しは明るさを増し、昼の時間も長くなってゆく。「少し大きい靴はいて」という表現に春よこい、春よこい♪と、昔なつかしい童謡がまず頭にめぐってきた。そして山之口貘の「ミミコの独立」なども。とうちゃんの大きな下駄をはいて自分のかんこをとりにいくんだ、と歩き出すあの一節。「こんな理屈をこねてみせながら/ミミコは小さなそのあんよで/まな板みたいな下駄をひきずって行った」そんなかわいい場面が思い浮かぶ。春の訪れによちよち歩くみよちゃんや、ミミコを想像するのも楽しい。掲句は「大きい靴」で大きなとは違うのだが冷たく身の縮む冬が去り、春そのものが大きな靴をはいてやってくる。と擬人化して考えてもゆたかでゆったりした気分になる。大きな靴と春は似合いだ。作者は柳人。句集には「ものわすれ増えてこの世はももいろに」「おばさんにはなったが大人とも言えず」ユニークな川柳の作品が並ぶ。『夢をみるところ』(2009)所収。(三宅やよい)




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