今宵池袋ジュンク堂でトークイベント。夜の催し出席はこれにて打止め。(哲




2010年2月4日の句(前日までの二句を含む)

February 0422010

 春がくる少し大きい靴はいて

                           浮 千草

日は立春。まだまだ寒いけれども陽射しは明るさを増し、昼の時間も長くなってゆく。「少し大きい靴はいて」という表現に春よこい、春よこい♪と、昔なつかしい童謡がまず頭にめぐってきた。そして山之口貘の「ミミコの独立」なども。とうちゃんの大きな下駄をはいて自分のかんこをとりにいくんだ、と歩き出すあの一節。「こんな理屈をこねてみせながら/ミミコは小さなそのあんよで/まな板みたいな下駄をひきずって行った」そんなかわいい場面が思い浮かぶ。春の訪れによちよち歩くみよちゃんや、ミミコを想像するのも楽しい。掲句は「大きい靴」で大きなとは違うのだが冷たく身の縮む冬が去り、春そのものが大きな靴をはいてやってくる。と擬人化して考えてもゆたかでゆったりした気分になる。大きな靴と春は似合いだ。作者は柳人。句集には「ものわすれ増えてこの世はももいろに」「おばさんにはなったが大人とも言えず」ユニークな川柳の作品が並ぶ。『夢をみるところ』(2009)所収。(三宅やよい)


February 0322010

 節分や灰をならしてしづごころ

                           久保田万太郎

の「灰」はもちろん火鉢の灰であろう。節分とはいえ、まだまだ寒い昨日今日である。夜のしじまをぬって、どこやらから「福は内!」「鬼は外!」の声が遠く近く聞こえてくる。(もっとも、近年は「鬼は外!」とは言わないようだ。おもしろくない!)その声に耳かたむけながら、何をするでもなく手もと不如意に、所在なくひとり静かにそっと火鉢の灰をならしている。あるいは、家人が別の部屋で豆まきをしている、と想定してみると、家人と自分との対比がおもしろい。ーーそんな図が見えてくる句である。火鉢など今や骨董品となってしまったが、ソファーに寝そべって埒もないテレビ番組に見入っているよりも、ずっと詩情がただよってくるし、万太郎らしい抒情的色彩が濃く感じられる。「家常生活に根ざした抒情的な即興詩」というのが、俳句に対する万太郎の信条だったと言われる。ほかに「節分やきのふの雨の水たまり」という一句もある。そして「春立つやあかつきの闇ほぐれつつ」の句もある。明日は立春。平井照敏編『新歳時記』(1996)所載。(八木忠栄)


February 0222010

 人間を信じて冬を静かな象

                           小久保佳世子

という動物はどうしてこうも詩的なのだろうか。地上最大の身体を持ちながら、草食動物特有のやさしげな面差しのせいだろうか。もし、「人間にだまされたあげく、やたら疑い深くなり、最後には暴れる」という大型動物の寓話があるとしたら、主役には虎や熊といったところが採用され、どうしたって象には無理だろう。ついてこいと命令すれば、どんなときでもついてくる賢く、従順で温和というのが象に付けられたイメージだ。掲句は「冬を」で唐突に切れて、「静かな象」へと続く。この不意の静けさが、安らかとも穏やかとも違う感情を引き出している。ここには、あきらめに通じる覚悟や、悟ったような厳粛さはなく、ただひたすらそこにいる動物の姿がある。食べることをやめた象はわずか一日で死に至るのだそうだ。今日も象は人間を信じて黙々と食べ、不慣れな冬を過ごしている。〈太陽は血の色億年後の冬も〉〈また梅が咲いてざらめは綿菓子に〉『アングル』(2010)所収。(土肥あき子)




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