プロ野球キャンプイン。「春だっ」と浮き立つ気分に白いものが…。(哲




2010ソスN2ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0222010

 人間を信じて冬を静かな象

                           小久保佳世子

という動物はどうしてこうも詩的なのだろうか。地上最大の身体を持ちながら、草食動物特有のやさしげな面差しのせいだろうか。もし、「人間にだまされたあげく、やたら疑い深くなり、最後には暴れる」という大型動物の寓話があるとしたら、主役には虎や熊といったところが採用され、どうしたって象には無理だろう。ついてこいと命令すれば、どんなときでもついてくる賢く、従順で温和というのが象に付けられたイメージだ。掲句は「冬を」で唐突に切れて、「静かな象」へと続く。この不意の静けさが、安らかとも穏やかとも違う感情を引き出している。ここには、あきらめに通じる覚悟や、悟ったような厳粛さはなく、ただひたすらそこにいる動物の姿がある。食べることをやめた象はわずか一日で死に至るのだそうだ。今日も象は人間を信じて黙々と食べ、不慣れな冬を過ごしている。〈太陽は血の色億年後の冬も〉〈また梅が咲いてざらめは綿菓子に〉『アングル』(2010)所収。(土肥あき子)


February 0122010

 海豹のやうな溜息二月なり

                           渡辺乃梨子

月といえば、間近の春を待つ心情を詠んだ句の多いなかで、この句は違う。あわただしく動き回っているうちに、ふと気づけば、もう二月になってしまったのかという焦燥感のあらわれた句だ。だからついて出る溜息もかそけきそれではなくて、さながら「海豹(あざらし)」の鳴き声のように荒々しいものになったというのである。私も父の緊急入院以来、こんな溜息を何度かもらした。もらした瞬間に、喉の奥がごおっという感じで鳴るのである。経過は順調で週末には退院できそうだが、これを幸いと言うにはその後に問題が山積しすぎているからだ。長生きも考えものだな。などと、親不孝な想念も思わずわいてきてしまう。どなたでもそうだろうが、かといって急に介護一辺倒の生活に切り替えるわけにもいかず、しかし現実は容赦なく進行するばかりなのだから、本音のところでははただうろうろおろおろするばかり。我ながら情けないとは思うけれど、出るのは海豹のような溜息ばかりなりである。そして、四日は早や立春。どんな春になるのかなあ。俳誌「梟」(2009年3月号)所載。(清水哲男)


January 3112010

 雪の夜の紅茶の色を愛しけり

                           日野草城

茶を詠った句は、どれも読んでいてあたたかな気持ちになります。特に、ことさら赤い「色」に注目したのは、つめたい雪の「白」や、部屋をつつむ夜の「黒」と対比したもので、たしかに紅茶というのは、その熱を色にまで素直に表しているものなのだなと、あらためて感心してしまいます。かつてこの欄で、三宅さんが採り上げた「雪降ってコーヒー組と紅茶組」(中原幸子)の句にも感じたことですが、この世には、わたしたちをそっと支えてくれるものが、あらかじめきちんと用意されているものだなと、つくづく感じるわけです。わたしが紅茶を飲むのは、この句とは違って通勤前のあわただしい朝の数分です。トーストを頬張った後に、砂糖もなにも入れない紅茶を流し込むように飲んでから、気合を入れて会社に向かうわけです。この句のように、ゆったりとした言い方はできませんが、日々のはじまりに背中を押してくれるこの飲み物を、わたしだって深く愛しています。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)




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