2010N2句

February 0122010

 海豹のやうな溜息二月なり

                           渡辺乃梨子

月といえば、間近の春を待つ心情を詠んだ句の多いなかで、この句は違う。あわただしく動き回っているうちに、ふと気づけば、もう二月になってしまったのかという焦燥感のあらわれた句だ。だからついて出る溜息もかそけきそれではなくて、さながら「海豹(あざらし)」の鳴き声のように荒々しいものになったというのである。私も父の緊急入院以来、こんな溜息を何度かもらした。もらした瞬間に、喉の奥がごおっという感じで鳴るのである。経過は順調で週末には退院できそうだが、これを幸いと言うにはその後に問題が山積しすぎているからだ。長生きも考えものだな。などと、親不孝な想念も思わずわいてきてしまう。どなたでもそうだろうが、かといって急に介護一辺倒の生活に切り替えるわけにもいかず、しかし現実は容赦なく進行するばかりなのだから、本音のところでははただうろうろおろおろするばかり。我ながら情けないとは思うけれど、出るのは海豹のような溜息ばかりなりである。そして、四日は早や立春。どんな春になるのかなあ。俳誌「梟」(2009年3月号)所載。(清水哲男)


February 0222010

 人間を信じて冬を静かな象

                           小久保佳世子

という動物はどうしてこうも詩的なのだろうか。地上最大の身体を持ちながら、草食動物特有のやさしげな面差しのせいだろうか。もし、「人間にだまされたあげく、やたら疑い深くなり、最後には暴れる」という大型動物の寓話があるとしたら、主役には虎や熊といったところが採用され、どうしたって象には無理だろう。ついてこいと命令すれば、どんなときでもついてくる賢く、従順で温和というのが象に付けられたイメージだ。掲句は「冬を」で唐突に切れて、「静かな象」へと続く。この不意の静けさが、安らかとも穏やかとも違う感情を引き出している。ここには、あきらめに通じる覚悟や、悟ったような厳粛さはなく、ただひたすらそこにいる動物の姿がある。食べることをやめた象はわずか一日で死に至るのだそうだ。今日も象は人間を信じて黙々と食べ、不慣れな冬を過ごしている。〈太陽は血の色億年後の冬も〉〈また梅が咲いてざらめは綿菓子に〉『アングル』(2010)所収。(土肥あき子)


February 0322010

 節分や灰をならしてしづごころ

                           久保田万太郎

の「灰」はもちろん火鉢の灰であろう。節分とはいえ、まだまだ寒い昨日今日である。夜のしじまをぬって、どこやらから「福は内!」「鬼は外!」の声が遠く近く聞こえてくる。(もっとも、近年は「鬼は外!」とは言わないようだ。おもしろくない!)その声に耳かたむけながら、何をするでもなく手もと不如意に、所在なくひとり静かにそっと火鉢の灰をならしている。あるいは、家人が別の部屋で豆まきをしている、と想定してみると、家人と自分との対比がおもしろい。ーーそんな図が見えてくる句である。火鉢など今や骨董品となってしまったが、ソファーに寝そべって埒もないテレビ番組に見入っているよりも、ずっと詩情がただよってくるし、万太郎らしい抒情的色彩が濃く感じられる。「家常生活に根ざした抒情的な即興詩」というのが、俳句に対する万太郎の信条だったと言われる。ほかに「節分やきのふの雨の水たまり」という一句もある。そして「春立つやあかつきの闇ほぐれつつ」の句もある。明日は立春。平井照敏編『新歳時記』(1996)所載。(八木忠栄)


February 0422010

 春がくる少し大きい靴はいて

                           浮 千草

日は立春。まだまだ寒いけれども陽射しは明るさを増し、昼の時間も長くなってゆく。「少し大きい靴はいて」という表現に春よこい、春よこい♪と、昔なつかしい童謡がまず頭にめぐってきた。そして山之口貘の「ミミコの独立」なども。とうちゃんの大きな下駄をはいて自分のかんこをとりにいくんだ、と歩き出すあの一節。「こんな理屈をこねてみせながら/ミミコは小さなそのあんよで/まな板みたいな下駄をひきずって行った」そんなかわいい場面が思い浮かぶ。春の訪れによちよち歩くみよちゃんや、ミミコを想像するのも楽しい。掲句は「大きい靴」で大きなとは違うのだが冷たく身の縮む冬が去り、春そのものが大きな靴をはいてやってくる。と擬人化して考えてもゆたかでゆったりした気分になる。大きな靴と春は似合いだ。作者は柳人。句集には「ものわすれ増えてこの世はももいろに」「おばさんにはなったが大人とも言えず」ユニークな川柳の作品が並ぶ。『夢をみるところ』(2009)所収。(三宅やよい)


February 0522010

 散り敷きて雪に蒼みし霰かな

                           高島 茂

句の風景描写を服装のコーディネイトのごとく思うことがよくある。Yシャツは何色、上着は、ズボンは。ベルトは靴の色に合わせ、全体が暗い感じの色合いならネクタイは思い切って赤で行こうとか。いや、最近はみんな赤だから俺は緑でいこうとか。雪の上の霰を描くのは同系色の合わせ方だ。作者は白の上に白を置いてその二色を識別させる。霰の方にやや蒼い色をつけたのだ。見たこと、感じたことの経験も俳句と服は似ている。持っているものしか使えないから、それを用いるしかないが、その中でのセンスが問われるのである。『ぼるが』(2000)所収。(今井 聖)


February 0622010

 春浅し心の添はぬ手足かな

                           多田まさ子

にが嫌、というわけでもなく、どこか具合が悪い、というわけでもなく、今日も朝から忙しく働いて1日が過ぎる。これ以上青くはなれない二月の空、ひとあし先に春めいてきた日差しとまだまだ冷たい風。そんな季節の狭間の戸惑いに、内なる戸惑いが揺り動かされ、静かに作者の中に広がる。春の華やぎの中で感じる春愁より、季節も心持ちも茫洋としてつかみどころがない。でも風が冷たい分、その心情はすこし寂しさが強いように思う。ともかく、しなければならないことが山積みでゆっくり考えているヒマがないことが良いのか悪いのか。ただ、こうして動いている手足は自分のもので、これからはだんだん暖かくなっていくのだ、ということは確かなのである。『心の雫』(2009)所収。(今井肖子)


February 0722010

 しら魚や水もつまめばつままるる

                           鶴海一漁

しかに、しら魚の体の色は透明なのだなと、あらためて驚いてしまいます。でもそれを言うなら、水が透明なのだってずいぶん変わったことであるわけです。透明なものがこの世にあるということは、わかっているようでどこかわからないところがあります。水の中に指先を入れて、なにもないところを二つの指ではさんで持ち上げれば、それはしら魚だった、ということをこの句は詠っているのでしょうか。でも読んでいるとつい、水そのものをつまむことができるような錯覚をしてしまいます。柔らかな液体をつまむ、という行為の美しさに、一瞬うっとりとしてしまいます。目をぐっと近づけて、この句をじっくりと見つめてしまうのは、だから仕方のないことかもしれません。読者を惹きつける、目に見えないものがそっとかけられているのではないのかと。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


February 0822010

 春うつらくすりの妻の名で呼ばれ

                           的野 雄

院では患者当人ではなくても、付き添いや見舞い客などの人を患者のフルネームで呼ぶ場合が多い。今回の父の入院で、私も何度も父の名で呼びかけられた。慣れてしまえば何ということもないのだろうが、なんだか妙な心持ちになってしまう。句の作者は、妻の薬を受け取りにきたのだろう。だいぶ待たされるので、つい「うつら」としてしまった。で、ようやく窓口から呼ばれたときには妻の名前なものだから、「うつら」の頭ではすぐには反応できない。呼ばれたような気もするのだが……と逡巡するうちに、今度ははっきりと妻のフルネームが聞こえて、あわてて立ち上がったのである。微苦笑を誘われる句だけれど、私も作者と似た環境にあるので、微苦笑とともに自然に溜息も出てくる。句集には「主夫」という言葉が何度も出てくるから、奥様はかなり長患いのようだ。同じ句集に「想定外妻に梨剥く晩年など」があり、また「逃亡めく主夫に正月と言うべしや」がある。お大切に。『円宙』(2009)所収。(清水哲男)


February 0922010

 切断されし指を感ずる木々芽吹く

                           ドゥーグル・J・リンズィー

春を過ぎ、光りが存分にあふれる頃になると、あちらこちらの梢の先がほの赤く染まっているのを意識する。木々の芽吹きを思うと、亀が手足を出すにも似て、もそもそっとくすぐったい心地となる。葉を落し、ふたたび芽吹く木の循環。幹を身体にたとえれば、払い落した指の場所からまた指先が生えてくるようだと、言われてみれば確かにそうで、前述の亀の想像よりずっと実感を伴う感触に襲われる。海洋学者でもある作者は、切断されたのち、いともたやすく再生することができるタコやヒトデなどの海洋生物と向き合っており、木々もまたそれほど遠くない生きものに映っているのかもしれない。引きかえ、ほとんど再生不能な人間が苦しいほど不器用に生きているように見えてくる。〈胎盤の出来るころなり薄ごほり〉には第二子懐妊の前書がある。日々の多くを海の上(というか深海)で過ごしている作者の遠隔地からの季感の訴えには、妻や子の暮らす地上への強い思いとともにあるようだ。〈我が船の水脈を鯨が乱しけり〉『出航』(2008)所収。(土肥あき子)


February 1022010

 猪突して返り討たれし句会かな

                           多田道太郎

太郎先生が亡くなられて二年余。宇治から東京まで、熱心に参加された余白句会とのかかわりに少々こだわってみたい。「人間ファックス」という奇妙な俳号をもった俳句が、小沢信男さん経由で一九九四年十一月の余白句会に投じられた。そのうちの一句「くしゃみしてではさようなら猫じゃらし」に私は〈人〉を献じた。中上哲夫は〈天〉を。これが道太郎先生の初投句だった。その二回あと、関口芭蕉庵での余白句会にさっそうと登場されたのが、翌年二月十一日(今からちょうど十五年前)のことだった。なんとコム・デ・ギャルソンの洋服に、ロシアの帽子というしゃれた出で立ち。これが句会初参加であったし、宇治からの「討ち入り」であった。このときから俳号は「道草」と改められた。そのときの「待ちましょう蛇穴を出て橋たもと」には、辛うじて清水昶が〈人〉を投じただけだった。「待ちましょう」は井川博年の同題詩集への挨拶だったわけだが、博年本人も無視してしまった。他の三句も哀れ、御一同に無視されてしまったのだった。掲出句はその句会のことを詠んだもので、「返り討ち」の口惜しさも何のその、ユーモラスな自嘲のお手並みはさすがである。「句会かな」とさらりとしめくくって、余裕さえ感じられる。句集には「余白句会」の章に「一九九五年二月十一日」の日付入りで、当日投じた三句と一緒に収められている。道草先生の名誉のために申し添えておくと、その後の句会で「袂より椿とりだす闇屋かな」という怪しげな句で、ぶっちぎりの〈天〉を獲得している。『多田道太郎句集』(2002)所収。(八木忠栄)


February 1122010

 動き出す春あけぼのの電気釜

                           小久保佳世子

はあけぼの やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて―と、国語の時間に繰り返し暗唱させられたそのむかしから、春とあけぼのは私の中でぴったりセットになっている。夏の朝は水の匂いがするけど、春の夜明けはほんわかとした布の手触り、ふわふわと期待に満ちたピンク色の時間帯だ。掲句のように我が家でも最初に活動を始めるのは炊飯器なのだけど、こう書かれてみると電気釜が生き物のようでおかしい。「電気釜」にかかる「春あけぼの」の古典的言葉の効果でタイマーが入ってしゅっしゅっと動き始める炊飯器の蒸気がうすくたなびく東雲のようだ。こうした言葉の斡旋で見慣れた台所の朝の光景を一変させている。書きぶりは真面目だけど、何かしらおかしみを含んだ作品に上質なユーモアのセンスを感じる。「謝る木万歳する木大黄砂」「春の港浮雲と我を積み残し」『アングル』(2009)所収。(三宅やよい)


February 1222010

 弾道や静かに暮るる松の花

                           秋山牧車

車はぼくしゃ。戦後すぐ「寒雷」の編集長。その後、長く同人会長を勤めた。昭和17年に加藤楸邨に師事。陸軍中佐。大本営陸軍部報道部員として「大本営発表」に関わる。戦後加藤楸邨は中村草田男から、軍高官を自誌に置いて便宜を図ってもらったと非難を受ける。いわゆる戦争責任の追及である。しかもその高官を戦後も同人として遇しているのは何故かとの問であった。高官とは秋山牧車とその兄本田功中佐、及び、清水清山(せいざん)中将。軍人高官だからといって側に置いて便宜を図ったもらったことはないと楸邨は反論。(当時「寒雷」にはさまざまな職業、主義主張を持った人々がいた。例えば赤城さかえ、古澤太穂などのコミュニストもいた)その言葉を裏付けるように、楸邨は戦後もこの三人を「寒雷」の仲間として他の同人、会員と同様に扱った。これには楸邨の意地も感じる。この句は大戦末期、敗色濃いマニラに陸軍報道部長として派遣され、後に処刑される山下奉文大将と山中に立てこもった折の句。「弾道や」の危機感と中七下五の静謐な自然との対照が武人としての「胆」を感じさせる。『山岳州』(1974)所収。(今井 聖)


February 1322010

 凍解の土いとほしく納骨す

                           山田弘子

の一月父の納骨の際、墓の石蓋をあけて、祖母と祖父の骨壺が土の上に置かれているのを見てちょっと驚いた。何が根拠なのかはわからないが勝手に、中も石でできているような気がしていたからだ。十数年、日のあたることのなかった墓石の下の土は、三つ目の骨壺をやわらかく包んでまた眠りについた。作者がご主人を亡くされたのは、2001年の冬とうかがっている。やはり納骨の時、黒々と湿った土を目の当たりにされたのだろう。それを凍解の土、と詠まれたところに、妻としての心持ちと俳人としての目の確かさとが織りなす詩情がある。いとほしく、の一語が、少しの涙とともに土の上にほろほろとこぼれ、永遠の眠りについた魂をつつんだことだろう。花につつまれた祭壇の遺影は、呆然としている私達に、いつも通り明るく微笑んでおられた。「肖子ちゃんの句いいわよ、これからはあなた達が頑張って」。俳句を始めてからいろいろへこむことも多い私は、お目にかかるたびに励まされた、お世話になってばかり。頑張ろう、とあらためて心に誓いつつ、合掌。「彩 円虹例句集」(2008)所載。(今井肖子)


February 1422010

 春の日やポストのペンキ地まで塗る

                           山口誓子

の句に詠まれているポストは、スタイルのよい最近の一本足のものではなく、ずんぐりむっくりとしていて、厚い石でできた昔ながらのものなのでしょう。ドカンと地面に設置されたポストの、頭のほうから真っ赤なペンキを塗り始めたのでしょうが、下の方まで塗っているうちに、うっかり地面まで赤く塗ってしまったというわけです。作者は、塗っている作業を隣で見ていたというよりも、夕方の散歩の折にでも、通りすがりに新しいポストを見つけ、ペンキが恥ずかしそうにはみ出しているのを見つけたのです。そんなことだってあるさ、人間、そんなにきっちりとしなくてもいいじゃないかと、春の陽気が肩をたたいてくれているようです。私の年齢では、この句は、どこか吉田拓郎の「♪もうすぐ春が/ペンキを肩に/お花畑の中を/散歩に来るよ♪」という歌を思い出させてくれます。あたたかな陽気に、心まではみ出してしまっているような、そんな気分になります。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


February 1522010

 さわやかに我なきあとの歩道かな

                           清水哲男

節外れの句で失礼。「さわやか(爽やか)」は秋の季語。今と違ってこのページをひとりでやっていたときに、毎年の誕生日には、自分の句のことを書いていた。自句自解なんて、大それた気持ちからではない。言うならば、自己紹介みたいな位置づけだった。今年はたまたま今日に当番が回ってきたので、同じ気持ちで……。自分の死後のことを漠然と思うことが、たまにある。べつに突き詰めた思いではないのだけれど、死は自分が物質に帰ることなのだから、実にあっけらかんとした現象だ。そこに残る当人の感情なんてあるわけはないし、すべては無と化してしまう。その無化を「さわやか」と詠んだつもりなのだが、こう詠むことは、どこかにまだ無化する自分に抗いたいという未練も含まれているようで、句そのものにはまだ覚悟の定まらない自分が明滅しているようである。この句を同人詩誌「小酒館」に載せたとき、辻征夫が「辞世の句ができたじゃん」と言った。ならば「オレは秋に死ぬ運命だな」と応えたのだったが、その辻が先に逝ってもう十年を越す歳月が流れてしまった。この初夏、余白の仲間を中心に、辻の愛した町・浅草で偲ぶ会がもたれることになっている。『打つや太鼓』(書肆山田・2003)所収。(清水哲男)


February 1622010

 北窓を開きて船の旅恋ふる

                           西川知世

港地と洋上を繰り返し進む船旅は、地球をまんべんなくたどるという醍醐味をしっかり味わうことができる旅だろう。雲の上をひとっ飛びして目的地へ到着する時短の旅とは違う贅沢な豊かさがある。冬の間締め切ったままにしてあった北窓を開き、船の旅を恋うという掲句には、招き入れた春の光りのなかに開放的になった自身の心のありようを重ねている。船の小さい窓から波の向こうに隠れている未知の地を思い描くおだやかな興奮が、これから春らしさを増す未知なる日々への期待に似て胸を高鳴らせているのだ。深く沈んだような北向きの部屋が、明るい日差しのなかでひとつひとつを浮かびあがらせ、きらきらと光るほこりの粒さえ、新鮮な喜びに輝いて見えるものだ。そして、そんな幸せに囲まれたときほど、どこか遠くへの旅を無性に恋うものなのである。〈母に客あり春の燈のまだ消えず〉〈硝子屋の出払つてゐる夏の昼〉『母に客』(2010)所収。(土肥あき子)


February 1722010

 冬籠或は留守といはせけり

                           会津八一

の寒さを避け温かい家のなかにこもって、冬をやり過ごすのが「冬籠」だけれど、「雪籠」とも言う。私などのように雪国に生まれ育った者には、軒下にしっかり雪囲いを張りめぐらせた家のなかで、身を縮める「雪籠」のほうにより実感がある。雪国新潟に生まれた八一も同様だったかもしれない。雪はともかく、家にこもって寒い冬をやり過ごすというこの季語は、今の時代にはとっくに死語になってしまっているようだ。けれども、とても情感のある好きな言葉ゆえつい使いたくなる。「或(あるい)は」は「どうかすると」とか「ある場合は」という意味だから、家人をして「先生は今留守です」と言わせて、居留守を使うことがあるのであろう。何をしているにせよ、していないにせよ、こもっている時の来客への応対は面倒くさい。そんな時は「留守」を許していただきたいね。居留守と言えば、私の大好きなエピソードがある。加藤郁乎が師とあおいでいた吉田一穂を、ある日自宅に訪ねた時のこと。玄関で「先生!」と来訪を告げると、家のなかから「吉田はおらん!」と本人が大声で答えた。奥様が出て来て「そんなわけですから、また出直して来てください」と頭を下げられたという。いかにも吉田一穂。今どきは勧誘の電話だって容赦なく入り込んでくるのだから、始末が悪い。八一には「凩や雲吹き落す佐渡の海」の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


February 1822010

 人を見る如く椿の花円く

                           岸本尚毅

ぶりな侘介が咲き終わり、これからは華やかな椿の出番になる。椿は古くから日本で愛されてきた花。植物辞典によると花の真ん中の雄蕊の基部と花弁が合着しているので、咲き切った花の形のまま落ちるとある。「赤い椿白い椿と落ちにけり」(河東碧梧桐)「落椿とは突然に華やげる」(稲畑汀子)のようにどちらかというと咲いている姿より落ちる姿が俳句では詠まれることが多かったように思う。くっきりと咲いている椿は自己主張が強すぎて詠みにくいのかもしれない。掲句では花を見るのではなく花から見つめられている、と見方を逆転させることで黄色く大きな花芯を持つ椿の存在感と気配を感じさせる。最後の「円く」という言葉がこの花の持つ柔らかさと温かみを表しているようだ。『感謝』(2009)所収。(三宅やよい)


February 1922010

 親雀巣を出て遠く志す

                           山口誓子

子の句は句の立姿が美しい。僕にはそう見える。どんなにきちんと音律が整っていても類型的な情緒が盛られていては、ああ、また諷詠ですか、古いモダンですかと思ってしまう。作者としてのあなたはほんとうにそれで新しい自分がその一句に刻印されていると思うのですかと読者としての僕が問うとき誓子の句の多くはこれが私の考えている俳句ですと返してくれる。僕はそれに納得がいき、その返答を誓子の型の中にみる。そのとき美しいと思うのだ。親雀は子育ての本能からか、餌を求めて遠くまで行動範囲を広げる。校庭のような広いところでいつも餌をやっているとわかる。パン屑を咥えては巣のある一定方向にとび、しばらくしてまた帰ってくる。子育てのときの距離が長いのは、同じ雀が帰ってくる時間でわかる。見える事柄の「写生」から入って、次に妻子をもってこそ一人前だというような寓意に入る。最初から寓意や批評性を意図する作品と、結果的に寓意に到る作品。その順序は俳人の品位と才能にかかっている。『遠星』(1945)所収。(今井 聖)


February 2022010

 待てば来る三月も又幸せも

                           川口咲子

京は二月に入って雪続き。余寒どころではない寒さだけれど、春の雪はすぐ日差しに吸われて消えていく。二月の学校は、中学入試に始まって学年末の慌ただしさに新年度の準備の開始、高三の入試結果の悲喜こもごもと忙しない。三月は別れの季節であり、まだまだ冷えこむことも多いけれど、一日ごとに空の色が変わっていくのを確かめながら花を待つ毎日は、心楽しいものだ。春は必ず来る、と言われても、私には春は来ない、なんて気持ちになることがある。でも、三月は確かに、必ず待てば来る。三月も、で一呼吸入れて読んでみると、自分自身に言いきかせているような、かみしめるような、幸せ、ということばが、三月、の具体性によって、向こうからにこにこ近づいてきてくれそうな気がしてくる。句集名の『花日和』(2001)も、幸せを感じさせる言葉だ。(今井肖子)


February 2122010

 菜の花や小学校の昼餉時

                           正岡子規

めばそのままに、広々とした風景が目の前に現れてくるようです。木造の校舎を、校庭のこちら側から見つめているようです。かわいらしく咲き乱れている菜の花と、教室内でお昼ご飯を食べている、これまたかわいらしい小学生の姿が、遠景によい具合につりあっています。今は静かなこの校庭にも、もうすぐご飯を食べ終わった子供たちが飛び出してきて、ひどくやかましい時間が訪れることでしょう。あっちこっちから走ってくる子供たちの姿を、ぶつかりやしないかと心配しながら、菜の花の群れが優しいまなざしで見つめています。とにかく句全体に、鮮やかに花が咲き乱れているようです。こんな句を読めた日には、わざわざいやなことなどを考えずに、ゆったりといちにちを過ごしてみようかな。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


February 2222010

 ふるさとの味噌焼にのせ蕗の薹

                           武原はん女

田汀史さんから送っていただいた『汀史雑文集』(2010)は、味わい深い一冊である。地元徳島への愛情が随所に滲み出ている。そのなかに、徳島出身の地唄舞の名手であった武原はん(俳号・はん女)について書かれた短文がある(「おはん恋しや」)。掲句はそのなかで引かれている句であるが、彼女は虚子直門で多くの秀句を残した。「焼味噌」がどういうものなのか、私は知らないけれど、阿波の人なら知らない人はいないほどの名物らしい。汀史さんによれば「赤子のてのひら程の、素焼の器に生味噌を入れて炭火で焼いた」ものだという。想像するだに酒のつまみに良く合いそうだ。作者は長いこと「ふるさと」を離れ暮らしているのだが、あるとき故郷から味噌焼が送られて来、その懐かしい味をより楽しむために、早春の香り「蕗の薹(ふきのとう)」を添えたというのである。いかにも美味しそうであり、それ以上に、句は望郷の念をさりげなくも深く表現していて見事だ。「早春の季節感と共に、望郷の念たちのぼるごとき秀品」と、汀史さんは書いている。ひるがえって、私が育った地元には何か名物があるかと考えてみたが、何もない。山口県の文字通りの寒村で、いまは一応萩市の一角ということにはなっているけれど、バスの便だって一日三回くらいしかないほどなのだから、昔の状況は推して知るべし。ついでに言えば民謡もない。したがって、食べ物を前に望郷の念を抱くこともできない。だからこそなのだろう。こういう句にとても惹かれてしまうのは。(清水哲男)


February 2322010

 仕事仕事梅に咲かれてしまひけり

                           加藤かな文

分だ八分だと大騒ぎの態の桜と違い、梅はいたって静かにほころびる。掲句は通勤途中のものか、あるいはもっと身近な庭の一本かもしれず、それほど梅はふっと咲くものだ。そろそろ冬のコートを脱ごうかと見回した視線でみつけたものか、ともかく「咲かれてしまった…」とつぶやく胸のうちは、自覚していた時間との落差が突如現れたような途方に暮れた感がある。まだ本年という年号にも馴染まぬうちに、もうすっかり春になろうとしているのだ。作者は四十代の男性。世にいう働き盛りの毎日は、小さな時間のブロックを乗り越えていくうちに、またたく間に月日が過ぎてしまうものである。そして、その無念さはどの花でもなく梅でこそ、ぽつんと取り残された心地が表現できたのだと思う。ちなみに都内では「せたがや梅まつり」は2/28、「湯島天神梅まつり」は3/8まで。清らかな梅の香りを楽しむ時間は、もう少し残されている。『家』(2009)所収。(土肥あき子)


February 2422010

 大井川担がれて行く冬の棺

                           榎本バソン了壱

井川は静岡県中部から駿河湾に注ぐ、全長百六十八キロの川。その昔、架橋や渡船が禁じられていた川だから、人足が肩車や輦台(れんだい)で渡したことで知られる。担がれて渡るのは人ばかりではなく、棺だって担がれて渡ったであろう。冬の水を満々とたたえた、流れの速い大河を、棺がそろそろと慎重に担がれて行く。寒々とした冬である。命知らずの猛者たちが棺を担いで渡る様子が、大きなスケールと高いテンションを伴って見えて印象深い。掲出句は本年1月に刊行されたバソン了壱の第一句集『川を渡る』のなかの一句。東京から京都の大学へ通う新幹線が渡る百十一の川をネットで確認し、番外一句を加えて川を詠みこんだ百十二句の俳句を収めている。尋常ならざるアイディアと、尋常ならざる俳句の人である。しかも、全句を多様なスタイルの筆文字(左利き)で自ら書いたという、コンパクトでユニークな句集である。「小さな事件に悩み、喜んでいるささやかな自分を川という鏡に映して、反問している」、それが句集全般を支配している、と前書で本人は述懐している。掲出句よりもバソン了壱らしい句は、むしろ「秋刀魚焼く女の脂目黒川」とか「安藤川一二三アンドゥトロワ」などのほうにある、と言っていいかもしれない。ともかく、「冬の棺」が担がれ去って行くことで、いよいよ冬も去り春が近いことを暗示している。もう二月尽。『川を渡る』(2010)所収。(八木忠栄)


February 2522010

 江ノ島のガソリン臭き猫の恋

                           須藤 徹

夜も近所の野良猫や飼い猫たちが入り乱れて悩ましい声で呼び合っている。まだ寒いじゃないか、と蒲団にもぐりつつ思うけど鳴き始める猫たちは本能で春を感知しているのだろう。「恋猫の恋する猫で押し通す」(永田耕衣)の句にあるようにひたすらに恋に打ち込む猫がいとおしくもあり、滑稽でもある。家に猫を飼う人達にとっては気が揉める時節の到来だろう。春浅き江の島に車を飛ばして押し寄せてくる若いカップル。その車の下に潜む恋猫。その見つけどころに、「ガソリン臭き」とかぶせたところに現実味が漂う。それでいて猫の恋がちょっぴり抒情的であるのは背景に潮の香りが広がるからか、その二つの匂いが入り混じって忘れ難い印象を残す。掲句が作られてから10数年経過した今、江の島のバイク族も車もめっきり少なくなったことだろう。恋も体当たりだった行動派からメールやパソコンで恋情をやりとりする若者たちへ。匂いもなくどこか無機質なその恋愛と猫の恋をだぶらせようとしても、もはや遠いかもしれない。『幻奏録』(1995)所収。(三宅やよい)


February 2622010

 幽霊が写って通るステンレス 

                           池田澄子

々に何々が映る、或いは写るのは俳句の骨法のひとつ。物をして語らしめるということ、その手段として物と物との関係をあらしめることが、短い形を生かす方法であるとしてこの形が多用されてきた。その場合は被写体とそれが写る場所(素材)の関係が「詩」の全てとなる。水面や窓などの常套的な「場所」に対して作者はステンレスというこれまでの情緒にない素材を用いた。そして、その光る白い色彩に「幽霊」を喩えた。幽霊のごとき色彩であるから、これは直喩の句。見た感じをそのまま書いた「写生句」である。「写生」とは見たまま感じたまま、そのままを詠うこと。それが子規の「写生」であったはずなのに、いつからか「写生」が俳句的情緒を必要条件とするようになった。こういう句が「写生」の原点を教えてくれる。この句が無季の句であるか、「幽霊」が季語になるのか、季感をもつのか、そんなことは末梢のこと。『ゆく船』(2000)所収。(今井 聖)


February 2722010

 草萌えて黒き鳥見ることもなく

                           横山白虹

萌には草の青、下萌には土の黒をより強く感じる、と言われたことがある。下萌というと、星野立子の〈下萌えて土中に楽のおこりたる〉〈下萌えぬ人間それに従ひぬ〉を思うが、そこには今まさに草萌えんとする大地の力がある。草萌は、二つ並んだ草冠がかすかにそよいで、文字通り明るい。掲出句の黒き鳥の代表は、カラスだろう。枯木に鴉、というと冬の象徴だが、音の少ない冬の公園などでは、確かにカラスのばさばさという羽音がいっそう大きく聞こえ、見上げると冬空より黒いその姿が寒々しい。やがて、水鳥が光をまき散らしながら準備体操を始め、尖った公園の風景も少しずつゆるんでくると、カラスもまた春の鴉となってお互いを呼び合うようになる。黒き鳥、が象徴する閉塞感が、外から、また身の内からゆっくりとほどけてゆく早春である。『横山白虹全句集』(1985)所収。(今井肖子)


February 2822010

 白菜の孤独 太陽を見送つている

                           吉岡禅寺洞

菜は冬の季語ですが、「白菜の孤独」といわれれば、どんな季節にも所属させる必要はないのかなと思います。これを句と見るか、あるいは一行詩と見るかについては、人それぞれに考え方は異なるでしょう。でも、ジャンルがあって後の作品、などというものは本来あるはずもなく、どちらだろうが読むものの感性に触れてくるものがあれば、それでかまわないわけです。真ん中にある空白は、現代詩であるならば助詞が入ったのかもしれません。あるいは句であるならば、取り払われるべきものなのでしょう。ゆるんだ助詞を入れることを拒み、しかしここにはしっかりとしたアキが必要なのだという、強い意志が感じられます。「見送っている」という、遠いまなざしのためにも、この距離は必要だったのかもしれません。太陽を見送るほどの孤独には、どこか狂気に近いものを感じます。それはおそらく、この句の雰囲気が、吉増剛造の詩の一節、「彫刻刀が、朝狂って、立ち上がる」を思い出させるからかもしれません。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)




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