警察のリーク記事だらけの新聞。公安委員長もたまには良いことを言う。(哲




2010ソスN1ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2412010

 武蔵野の雪ころばしか富士の山

                           斉藤徳元

ころばしというのは雪ダルマのことです。たしかに雪ダルマを作るためには、雪を転がして少しずつ大きくしてゆくわけですから、「雪ころばし」というかわいらしい言葉は、適切な名前と言えます。関東地方南部に長年暮らしているわたしは、雪ダルマを作るほどの積雪はめったに経験したことがなく、だからきちんとした雪ダルマなど作った記憶がありません。いつも中途半端にでこぼこで、泥のついた情けないものでした。江戸期の「雪ころばし」は、単に雪を転がして大きくしたもので、目鼻をつけることもなかったようです。だから余計に、遠方にぬっくと立ち尽くす富士山を、雪ダルマに見立てるなどという発想が出てきたのでしょう。冬の富士の気候は厳しく、武蔵野平野に作られた雪ダルマなどという暢気なものではありません。でもそれを言うならもちろん、雪に覆われた冬の生活そのものが日々過酷なものであり、だからこそこのような句で、心だけはほっとしたかったのかもしれません。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


January 2312010

 ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり

                           村上鞆彦

事は一年中起きてしまうものだが、空気が乾燥して風が強い冬に多いということで冬季。とはいえ、火事そのものは惨事であり、兼題に出たりすると、火事がどこかであったかしら、と思うのもなにやら後ろめたく、また季感もうすい。「この句はいかにも火事らしい」などと言っても言われても、なんだかなあという気も。その点この句にはまず冬の匂いがある。ひんやりと黒いガラス戸の向こうに見える小さく赤い炎に、思わず指を重ねたのだろうか。平凡な沈黙を破るかのような一点の火。見慣れた夜景が生々しく動きだし、その中に急に人の息づかいを感じてしまう。そして、ガラスから伝わってくる冷たさを指先で共有する時、読み手はまた作者の内なる熱さに触れるような心持ちになるのかもしれない。他に〈コート払ふ手の肌色の動きけり〉〈浮寝鳥よりも静かに画架置かれ〉など、衒わず新鮮な印象。「新撰21」(2009・邑書林)所載。(今井肖子)


January 2212010

 冬服や鏨のいろの坂に入る

                           進藤一考

(たがね)は石や鉄を削る工具。多くは棒状で握る部分は黒く、先に刃がついている。鏨のいろとはこの黒い色を言うのだろう。坂が鏨のいろというのは、冬季の路面に対する印象。これはむき出しの土の色ではなく、舗装路の色かもしれぬ。そこを着ぶくれた冬の装いをした人が上っていく。冬服の本意は和装かもしれないが、舗装路で洋装ととらないとこれはいつの時代の話かわからなくなる。鏨の比喩でモノクロームな色合の冬の寒さが表現されている。もうひとつ、冬服やという置き方は最近の句には珍しいかたち。冬服が下句の動作の主語になる古典的な「や」である。『貌鳥』所収(1994)所収。(今井 聖)




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