父の緊急入院で病院へ。入院手続きの際「ご本人ですか」だと。ちえっ。(哲




2010ソスN1ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2212010

 冬服や鏨のいろの坂に入る

                           進藤一考

(たがね)は石や鉄を削る工具。多くは棒状で握る部分は黒く、先に刃がついている。鏨のいろとはこの黒い色を言うのだろう。坂が鏨のいろというのは、冬季の路面に対する印象。これはむき出しの土の色ではなく、舗装路の色かもしれぬ。そこを着ぶくれた冬の装いをした人が上っていく。冬服の本意は和装かもしれないが、舗装路で洋装ととらないとこれはいつの時代の話かわからなくなる。鏨の比喩でモノクロームな色合の冬の寒さが表現されている。もうひとつ、冬服やという置き方は最近の句には珍しいかたち。冬服が下句の動作の主語になる古典的な「や」である。『貌鳥』所収(1994)所収。(今井 聖)


January 2112010

 着ぶくれて動物園へ泣きに行く

                           西澤みず季

月も下旬となり寒さも極まるとダウンジャケットやコートに身を固め、毛糸帽を目深かにかぶった人の姿が増えてくる。電車の中も押し合いへしあい嵩を増した者同士、身動きもとれないありさまで運ばれてゆく。そんな格好をしていると一番不似合いなのが優雅に恋愛することかもしれない。寄り添うにしてもごそごそと腕も組めやしない!それに比べ悲しみと着ぶくれは似つかわしく通じるところがありそう。だけどこの句では泣きにゆくのが動物園というところが意表を突いている。人に見られたくないので動物園を選んだのならラマやカモシカ、といったあまり人が集まっていない動物の前にあるベンチを選べばゆっくりと泣けそうだ。着ぶくれて泣いている様子を不思議そうに眺めている柵の中の動物の表情を想像するとなんだかおかしい。期せずして誘い出す笑いがせつなく明るくて、私も泣くために着ぶくれて動物園へ行きたくなった。『ミステリーツアー』(2009)所収。(三宅やよい)


January 2012010

 どの墓も××家とある寒さかな

                           正津 勉

の暮に墓掃除に行ったり、正月にお参りに出かけることはあっても、一般に寒い時期に墓を訪れる人はなかなかいないだろう。それでなくとも、墓地までは距離があったりして、寒い折に出かけるのはよほどの用がないかぎり、億劫になってしまいがちである。ご先祖様には申しわけないけれど。それにしても墓地は、だいたいどこやら寂しいし寒々しいもの。掲出句にあるごとく、まこと大抵の墓には、宗旨にもよるが「××家」とか「先祖代々之墓」などと刻まれている。「××家」累代の歴史に、束の間の幸せや悲劇があったにせよ、刻まれた文字からは、雪があるないにかかわらず深閑として、冬場には厳しい寒さがいっそう漂う。「公苑墓地」などと称していても、寒いことにかわりはない。家によって一律ではないにしても、墓の姿や刻まれた文字が一様に寒々しく感じられてしまうのは仕方がない。時候の「寒さ」と心理的な「寒さ」とが、下五で重なりあっている。同時に威儀を正しているような凛としたものさえ感じられる句である。この句と同時に「あばら家の明け渡し迫る空つ風」という句がならんでいる。句誌「ににん」に、勉は「歩く人・碧梧桐」を連載している。「ににん」37号(2010)所載。(八木忠栄)




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