実に久しぶり(40年ぶりくらい)に高校サッカーを見に行くことに。(哲




2010ソスN1ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0912010

 味噌たれてくる大根の厚みかな

                           辻 桃子

句なしに美味しそう。〈大根は一本お揚げ鶏その他〉の句と並んでいるが、いずれもとにかく美味しそうだ。この句の場合、味噌たれてくる大根、ときて、煮込んだ大根に味噌がかかっているのはわかるけれどまだそれだけで、厚みかな、としっかりした下五であらためてとろっと味噌がたれる。その絶妙の感覚が、こういう美味しそうな俳句の、写真にも文章にも真似のできない味わいだろう。じっくりこっくり煮込んだ大根に箸をゆっくり入れる。その断面にたれてくる味噌の香りと大根の匂いや湯気までが、それぞれの読み手の頭の中に映像として結ばれて、そのうちの何人かは、あ〜今日は大根煮よう、と思うのだ。この作者の、これまで増俳に登場した句には〈秋風やカレー一鍋すぐに空〉〈アジフライにじゃぶとソースや麦の秋〉などがあり、料理上手な作者が思われる。「津軽」(2009)所収。(今井肖子)


January 0812010

 冬灯金芝河の妻のまろき額

                           山下知津子

書きに、金芝河(キム・ジハ)初来日記念公演 パンソリ「五賊」、とある。「五賊」は金氏が1970年に当時の韓国の朴正熙大統領を風刺して書いた長編詩。金氏はこの詩がもとで反共法分子として逮捕される。その後も一貫して反政府運動をつづけ、一時は死刑判決を受けるが屈せず国際的な政府非難の中で釈放を勝ち取る。その詩を韓国の口承芸能「パンソリ」で公演したものを作者は観に行った。そのときの感動を詠んだものである。作者は公演に来ていた金氏の妻の容貌に着目する。これが夫の過酷な闘争を支えた妻だ。歴史の表に出る存在を支えた同伴者の存在がある。ドラマは往々にしてその視点から描くことで中心人物がより鮮明になる。龍馬の愛人、啄木の妻、子規の妹、周恩来の妻等々。内助の功などという世俗的な括りを超えて、社会正義への信念から自己犠牲をも厭わない存在に賭ける存在。それもまた自己犠牲の覚悟に基づいている。しかしその顔は険しい顔ではなく、円満な額を持つ顔であった。そこに作者の驚きと安堵がある。『髪膚』(2002)所収。(今井 聖)


January 0712010

 生きてゐる仕事始めの静電気

                           守屋明俊

んべんだらりと過ごした三が日を終えて、仕事が始まった。仕事納めの日から数えれば一週間しか経っていないのに昨年というだけで遠い距離が感じられる。正月休みというのは他の休みと違ってぽかっと大きな穴に落ち込んだような、浦島太郎のような心持ちになってしまう。ビルのエスカレーターを上がりやれやれとドアノブに手を触れた瞬間びりり、と軽い衝撃が伝わる。乾燥したこの季節に多い現象だけど、のびきった気持ちに喝を入れて仕事モードに切り替えよと言われているようだ。上五の「生きてゐる」の措辞は話し言葉にすれば「生きてるぅ??」と静電気に呼びかけられる感じだろうか。指に来た刺激が休みボケをたたき起こすようでなんとなくおかしい。「鏡餅テレビ薄くて乗せられず」「何たる幸グラタンに牡蠣八つとは」など日常の出来事が豊かな諧謔で彩られていて、おとなの味わいを感じさせる。『日暮れ鳥』(2009)所収。(三宅やよい)




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