猛威をふるうウイルス。Macは大丈夫ですが、Windowsは気をつけて。(哲




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January 0812010

 冬灯金芝河の妻のまろき額

                           山下知津子

書きに、金芝河(キム・ジハ)初来日記念公演 パンソリ「五賊」、とある。「五賊」は金氏が1970年に当時の韓国の朴正熙大統領を風刺して書いた長編詩。金氏はこの詩がもとで反共法分子として逮捕される。その後も一貫して反政府運動をつづけ、一時は死刑判決を受けるが屈せず国際的な政府非難の中で釈放を勝ち取る。その詩を韓国の口承芸能「パンソリ」で公演したものを作者は観に行った。そのときの感動を詠んだものである。作者は公演に来ていた金氏の妻の容貌に着目する。これが夫の過酷な闘争を支えた妻だ。歴史の表に出る存在を支えた同伴者の存在がある。ドラマは往々にしてその視点から描くことで中心人物がより鮮明になる。龍馬の愛人、啄木の妻、子規の妹、周恩来の妻等々。内助の功などという世俗的な括りを超えて、社会正義への信念から自己犠牲をも厭わない存在に賭ける存在。それもまた自己犠牲の覚悟に基づいている。しかしその顔は険しい顔ではなく、円満な額を持つ顔であった。そこに作者の驚きと安堵がある。『髪膚』(2002)所収。(今井 聖)


January 0712010

 生きてゐる仕事始めの静電気

                           守屋明俊

んべんだらりと過ごした三が日を終えて、仕事が始まった。仕事納めの日から数えれば一週間しか経っていないのに昨年というだけで遠い距離が感じられる。正月休みというのは他の休みと違ってぽかっと大きな穴に落ち込んだような、浦島太郎のような心持ちになってしまう。ビルのエスカレーターを上がりやれやれとドアノブに手を触れた瞬間びりり、と軽い衝撃が伝わる。乾燥したこの季節に多い現象だけど、のびきった気持ちに喝を入れて仕事モードに切り替えよと言われているようだ。上五の「生きてゐる」の措辞は話し言葉にすれば「生きてるぅ??」と静電気に呼びかけられる感じだろうか。指に来た刺激が休みボケをたたき起こすようでなんとなくおかしい。「鏡餅テレビ薄くて乗せられず」「何たる幸グラタンに牡蠣八つとは」など日常の出来事が豊かな諧謔で彩られていて、おとなの味わいを感じさせる。『日暮れ鳥』(2009)所収。(三宅やよい)


January 0612010

 松の内妻と遊んでしまひけり

                           川口松太郎

うまでもなく「松の内」は正月七日まで。古くは十五日までが松の内とされていたが、幕府の命令もあって短縮されたのだという。また三が日を過ぎると、松をはずす地方が増えた時期もあったらしい。今や、三が日どころか元旦も休まず営業する大型店さえ、珍しくなくなってしまった。のんびりとした正月気分など、時代とともにアッという間にどこかへすっとんで行ってしまった。たちまち慌ただしい日常に舞い戻ってしまう。でも、やはり日本の正月は正月である。若者はそわそわと繁華街へくり出して行く。けれど、たいていの女房持ちはゆっくり家にいて過ごすことが多いのではないか。掲出句の夫婦は、何をして遊んだのかは知らないが、「遊んでしまひけり」……やるべき仕事もあったにもかかわらず、ついうかうかと日を過ごしてしまったという後悔とともに、「まあ、松の内だもの」という微苦笑がちょっぴり感じられる。子や孫、あるいは友だちと遊ぶのではなく、妻と遊んだところにこそ、この句のポイントがあり味わいがある。大方の人が、新年早々の意気込みとは別に、うかうかと時間をやり過ごしてしまうケースが多いのも松の内。落語家だけは高座で1月中は「おめでとうございます。本年もどうぞご贔屓に……」と連呼しつづけている。作家・松太郎の妻・三益愛子は、「母もの映画」で往時の人々の涙をさらった名女優。晩年はがらりと一転して舞台の「がめつい奴」で、がめつい「お鹿婆さん」役で活躍し、テアトロン賞などを受賞した。平井照敏編『新歳時記』(1990)所載。(八木忠栄)




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