デパ地下で大根なんか買っている人を見かけるけど何がメリットなの。(哲




2009ソスN12ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 25122009

 点滴の滴々新年おめでたう

                           川崎展宏

宏さんが亡くなられた。僕は同じ加藤楸邨門下だったので、展宏さんに関する思い出はたくさんあるが、その中のひとつ。展宏さんが楸邨宅を訪ねた折、展宏さんが「僕はどうせ孫弟子ですから」と楸邨の前で少しいじけて見せた。展宏さんは森澄雄の薫陶を受け「杉」誌創刊以来中核の存在であったため、そのことを意識しての言葉だった。それに対し楸邨は「そんなことはありません。直弟子です」と笑って応じたという。酒豪の展宏さんは酔うと必ずこの話をされた。そういえば楸邨に川崎展宏君という前書のある句で「洋梨はうまし芯までありがたう」がある。「おめでたう」と「ありがたう」は呼応している。晩年の病床でのこの句の余裕と呼吸。やはり展宏さんはまぎれもない楸邨の直弟子であった。「角川俳句年鑑」(2009)所載。(今井 聖)


December 24122009

 雪が来るコントラバスに君はなれ

                           坪内稔典

ントラバスはチェロよりも大きく、ジャズの演奏にはベースとして登場する。低音の暖かい音色が魅力の楽器である。チェロよりはややロマンチックでないかもしれないが、ボンボンと響くその音が楽曲の全体をおおらかにひき締める大切な役柄を担っている。真っ黒な雪催いの空が西から近づいてきて、今夜は吹雪くかもしれない。その時は僕がしっかり両腕で受けとめてあげるから君はコントラバスになりなさい。やさしい言葉だけどしっかりした命令形が頼もしい。これは最高に素敵な求愛の言葉。二人だけの夜にこんな言葉をささやかれたら女性はすぐに頷いてしまうだろう。世の男性たちも自分の心持ちをお洒落に表現する言葉の使い手になってひそかに思いを寄せる女性たちを口説いてほしい。今夜はクリスマスイブ、雪と求愛が一年で一番似合う夜が訪れる。『水のかたまり』(2009)所収。(三宅やよい)


December 23122009

 志ん生を偲ぶふぐちり煮えにけり

                           戸板康二

ぐ、あんこう、いのしし、石狩……「鍋」と聞くだけでうれしくなる季節である。寒い夜には、あちこちで鍋奉行たちがご活躍でしょう。志ん生の長女・美津子さんの『志ん生の食卓』(2008)によると、志ん生は納豆と豆腐が大好きだったという。同書にふぐ料理のことは出てこないが、森下の老舗「みの家」へはよく通って桜鍋を食べたらしい。志ん生を贔屓にしていた康二は、おそらく一緒にふぐちりをつついた思い出があったにちがいない。志ん生亡き後、ふぐちりを前にしたおりにそのことを懐かしく思い出したのである。同時に、あの愛すべきぞろっぺえな高座の芸も。赤貧洗う時代を過ごした志ん生も、後年はご贔屓とふぐちりを囲む機会はあったはずである。また、酒を飲んだ後に丼を食べるとき、少し残しておいた酒を丼にかけて食べるという妙な習慣があったらしい。「ふぐ鍋」という落語がある。ふぐをもらった旦那が毒が怖いので、まず出入りの男に持たせた。別状がないようなので安心して自分も食べた。出入りの男は旦那の無事を確認してから、「私も帰って食べましょう」。それにしても、誰と囲むにせよ鍋が煮えてくるまでの間というのは、期待でワクワクする時間である。蕪村の句に「逢はぬ恋おもひ切る夜やふぐと汁」がある。『良夜』など三冊の句集のある康二には「少女には少女の夢のかるたかな」という句もある。『戸板康二句集』(2000)所収。(八木忠栄)




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