国保年額保険料11万8273円(北海道羅臼町)。私ならお手上げ。(哲




2009ソスN12ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 03122009

 風になりたし鶴の絵本をひろげいる

                           酒井弘司

い切り寒い日に氷のかけらをこぼしながら餌をついばむ鶴を見に行きたい。この句を読んでふと思った。鹿児島県出水、山口県八代には何度か足を運んで鶴を見に行った。山裾まで開けた田圃に飛来する鶴は灰色がかった鍋鶴で、群れになって飛ぶ姿はたくましい渡り鳥という印象だった。野生の丹頂鶴はまだ見たことがない。親の膝にのって絵本を読んでいるのだろうか、ひろげている絵本が鶴の翼を思わせる。「風になりたし」とつぶやいているのは誰なのだろう。鶴の絵本を食い入るように眺めている子供とも考えられるし、絵本の鶴と一体化した子を背後からささえる親ともとれる。ともに絵の中を飛ぶ鶴をはげます風になってお話の中に入り込んでいるのかもしれない。美しい舞鶴のイメージとともに鶴と風の関係に想像が膨らむ一句である。『谷風』(2009)所収。(三宅やよい)


December 02122009

 東海道松の並木に懸大根

                           吉屋信子

海道の松並木と懸大根の取り合わせがみごとである。しかもワイドスクリーンになっている。「懸大根」とは「大根干す」の傍題であり、たくあん漬にするための大根を、並木に渡した竹竿か何かにずらりと干している図である。東海道のどこかで目にした、おそらく実景だろうと思われる。たくさん干されている大根の彼方には、冠雪の富士山がくっきり見えているのかもしれない。私は十年ほど前、別の土地でそれに似た光景に出くわしたことがある。弘前から龍飛岬へ行く途中、津軽線の蓬田あたりの車窓からの眺めだったと思う。海岸沿いに白い烏賊ならぬ真っ白い懸大根が、ずらりと視界をさえぎっていた。場所柄、魚を干しているならばともかく、海岸と大根の取り合わせに場違いで奇妙な印象をもった。もちろん、漁村でたくあん漬を作っても何の不思議もないわけだが……。さて、東海道の松並木というと、私などは清水次郎長一家がそろって、旅支度で松の並木を急ぐという、映画のカッコいいワンシーンを思い出してしまう。信子の大根への着眼には畏れ入りました。立派な東海道の絵というよりも、土地に対する親近感というか濃い生活感を読みとることができる。信子の冬の句に「寒紅や二夫にまみえて子をなさず」「寒釣や世に背きたる背を向けて」などがある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 01122009

 やくそくの数だけ落ちる冬の星

                           塩野谷仁

空が漆黒に深まり、月や星に輝きを増してくると、冬も本番である。先月のしし座流星群は、月明かりの影響がない最高の条件で見ることができたという。天体観測に特別な興味がなくても、今夜、どこかでたくさんの星が流れているのだろうと思うのは、なんとなく気持ちを波立たせる。それは、願いごとを三回繰り返せば叶うおまじないや、マッチ売りの少女の「星が落ちるたびに誰かが神さまに召される」という場面を思い出させ、流れ星に対して誰もがどこかで持っている感情に触れることで、掲句の「約束」が響いてくる。約束とは誰かと誰かの間の個人的な決めごとから、運命やさだめというめぐりあわせまでも含む言葉だ。平仮名で書かれた「やくそく」には、ゆっくり噛んで含める優しさと、反面どうにもあらがえないかたくなさを併せ持つ。それは、流れ星が持つ美しいだけではない予兆を引き連れ、心に染み込んでいく。鋭すぎる冬の星が、ことのほか切なく感じられる夜である。〈一人遊びの男あつまる冬の家〉〈着膨れて水の地球を脱けられず〉『全景』(2009)所収。(土肥あき子)




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