農家の冬用意。有楽町駅近くの「ごはんミュージアム」にて撮影。(哲




2009ソスN12ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 01122009

 やくそくの数だけ落ちる冬の星

                           塩野谷仁

空が漆黒に深まり、月や星に輝きを増してくると、冬も本番である。先月のしし座流星群は、月明かりの影響がない最高の条件で見ることができたという。天体観測に特別な興味がなくても、今夜、どこかでたくさんの星が流れているのだろうと思うのは、なんとなく気持ちを波立たせる。それは、願いごとを三回繰り返せば叶うおまじないや、マッチ売りの少女の「星が落ちるたびに誰かが神さまに召される」という場面を思い出させ、流れ星に対して誰もがどこかで持っている感情に触れることで、掲句の「約束」が響いてくる。約束とは誰かと誰かの間の個人的な決めごとから、運命やさだめというめぐりあわせまでも含む言葉だ。平仮名で書かれた「やくそく」には、ゆっくり噛んで含める優しさと、反面どうにもあらがえないかたくなさを併せ持つ。それは、流れ星が持つ美しいだけではない予兆を引き連れ、心に染み込んでいく。鋭すぎる冬の星が、ことのほか切なく感じられる夜である。〈一人遊びの男あつまる冬の家〉〈着膨れて水の地球を脱けられず〉『全景』(2009)所収。(土肥あき子)


November 30112009

 寄鍋にうるさき女奉行かな

                           湯浅苔巌

に「鍋奉行」と言う。鍋に具を入れる順番から煮え加減や食べ方にいたるまで、まことに細かく指示を出しつづけて「うるさい」。私などは無精だから「どうだっていいじゃん」と大人しくしているが、こういう句を詠む人もまた、鍋にはかなりの自信があるのだろう。しかし上には上がいるというのか、相手が女性ゆえに遠慮しているのか、彼女の指図にいちいちかちんと来ているのだが、何も言えないでいる。流儀が根本的に違うのだ。だからただただ腹立たしく、うるさいのである。と言って、べつに彼女を憎むほどでもないのであって、そのうちに諦めが肝心と悟ってゆく。ちょっとした宴会のちょっとした出来事。俳句でなければ、人はこんなことは書けないし書かない。まこと庶民の文芸である。でも逆に口うるさい鍋奉行がいてくれないと、すぐに鍋の中はぐちゃぐちゃになるし、荒涼としてくる。うるさくても、助かるのである。それこそ逆に、こんな句もある。「寄鍋を仕切るをとこのゐるもよし」(近藤庸美)。こちらは、女性ならではのありがたさを感じている。料理といえば女。それが「をとこ奉行」のおかげで、何もしなくてもよいからだ。今日で十一月もお終い。本格的な鍋料理の季節に入ってゆくが、腕を撫している奉行たちも大勢いることだろう。山田弘子編『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


November 29112009

 唇で冊子かへすやふゆごもり

                           建部涼袋

週も江戸期の俳句です。冊子は「さうし」とフリガナがあります。つまりは本のことです。この句、読めば誰しも微笑まずにはいられません。ああこういうことってあるな、と古い人ならたいてい思いあたります。コタツにでも入っているのでしょうか。手は布団の中で温められている最中であり、よっぽどのことがない限り、冷たい外気などへはさらしたくありません。でも弱ったことに、読んでいる本のページをめくらなければなりません。さあどうしよう、ということでコタツから出ているもので動くものならなんでも使えということで、急きょ唇が動員されたというわけです。まあ、自分の体ですから、どこをどう使おうと勝手といえば勝手ですが、たしかにだらしない姿です。読んでいる本の内容も、自ずと知れてくるというもので、少なくとも精神を高めるようなものではないようです。最後に置かれた「ふゆごもり」という季語が、なんとも大げさで、さらに笑いを誘います。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)




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