連夜睡眠は五時間ほどなのに、珍しく八時間も眠れた。不思議な感じがする。(哲




2009ソスN11ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 23112009

 吊革に双手勤労感謝の日

                           長田和江

人の様子ではなく、自分のことを詠んだと見るほうが味わい深い。作者は女性だ。女性が双手(両手)で吊革につかまる姿はあまり見かけない。よほど疲れているのだろう。サービス業なのだろうか。とにかく祝日でも休めない職に就いている。今朝もいつもの時刻に出勤のため、電車に乗っている。いつもとは違って車内はだいぶ空いており、双手で吊革につかまるほどの余裕はある。そこで思わずも自然に双手で吊革をつかんでいる自分に、気がついた。あらためて、疲労している自分を確認した。周囲には行楽地に向かうとおぼしき家族連れなどもいて、ああ休みたいなと思う気持ちが込み上げてくる。そういえば、吊革にすがっている自分の姿は、そんな気持ちを天に向かって祈りを捧げているようではないか。微苦笑している作者の顔が目に浮かぶ。まったくもって同情したくなってくるけれど、しかしこの不景気、この就職難時代のことを思えば、作者はまだまだ幸せなほうである。いま「勤労感謝の日」という言葉が最も身にしみているのは、ただいま失職中の人たちなのではなかろうか。働きたくても働けない。一日も早く、そんな状況が消えてなくなりますように。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


November 22112009

 くさめして我はふたりに分れけり

                           阿部青鞋

あ、こういう見方もあるんだなと、感心しながら本日の句を読んでいました。クシャミというもの、あらためて考えてみれば、たしかに奇妙なものです。体を二つに折り曲げて、自分が破裂するように出てくるものなんて、ほかには思いあたりません。だからでしょうか、俳句だけではなく、現代詩の中でも時折登場します。長い詩の最後に、大きな空の下でクシュンとすれば、不思議な余韻が生み出され、どことなく孤独感や切なさをかもし出します。今日の句も、なかなか印象的です。クシャミの衝撃で、自分が二人にはがれたと書いてあります。アップルパイでもあるまいに、クシャミひとつでそう簡単にはがれてはたまりませんが、もちろんここは理屈ではなく。分かれたふたりが、あわててひとつに戻る姿でも思い浮かべながら、楽しく読んでいればよいのでしょう。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


November 21112009

 落葉掃く音の聞こえるお弁当

                           木原佳子

弁当、いい響きの言葉だ。現在、自分で作って勤め先に持っていくお弁当は、何が入っているか当然承知しているから、開ける時のわくわく度はぐっと低いが、それでも、さてお昼にするか、とお弁当箱の蓋を開ける時は、ほんわかとした気持ちになる。この句のお弁当は、どこで食べているのだろう。とある小春日和の公園あたりか。落ち葉は、それこそ散り始めてから散り尽くすまで、ひっきりなしに降り続く。そして落ち葉を掃く音は、少しやわらかく乾いている。ひたすら掃く、ひたすら落ちる、ひたすら掃く。冬を少しづつ引きよせるように続くその音を聞くともなく聞きながら、日溜りで開くお弁当はなんとも美味しそう。省略の効いた一句の中で、お弁当、の一語が、初冬を語って新鮮に感じられた。「俳句同人誌 ありのみ 第二号」(2009)所載。(今井肖子)




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