今週は天候が芳しくないようだ。冬の曇天は好きだけれどカメラには大敵だ。(哲




2009ソスN11ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 09112009

 小春日の子らの遊びは地より暮れ

                           若林卓宣

の情景は、もうセピア色の世界になってしまった。日暮れ時に限らず、いまどき外で遊ぶ子らの姿はめったに見られない。ましてや「ご飯ですよおっ、いい加減に帰ってらっしゃい」なんて母親の呼び声は、とっくのとうに消滅してしまった。実際に暗くなるまで夢中になって遊んだ子供時代を持たない人には、この句の味はわかるまい。そうだった。「地より暮れて」くるのだった。遊び道具などなかった私の子供のころに流行ったのは「釘倒し」だ。たいていの家には転がっていた五寸釘を持ち出して、まず一人がそれを地面に投げつけて突き立てる。次の順番の子が、それを目がけて釘を打ちつけ、倒せば勝ちという単純な遊びだ。やり方は単純だけれど、なかなかに技術も必要で、物すごく面白い。みんな止められずに、もう一回もう一回と遊んでいるうちにだんだんと暗くなってくる。そしてこの遊びの醍醐味は、日暮れとともにやってくるのである。釘と釘が衝突すると、明るいうちには見えなかった火花の散る様子が見えてくるからだ。動物は火を見ると興奮するそうだが、ヒトの子とて例外ではない。暮れた地に火花を散らしているうちに、誰もがエクスタシーめいた感覚にとらわれる。こうなるともう止められないが、そこに無情な母親の声。一人減り二人減りして、止むを得ずゲームは終了となるのだった。懐かしいなあ、みんな貧しかったが、あの頃が人生の黄金時代だったと今にして思う。昭和二十年代の話である。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


November 08112009

 更くる夜や炭もて炭をくだく音

                           大島蓼太

太(りょうた)は江戸中期の俳人です。今では、この句のように炭を手にすることはめったにありませんが、江戸期にもどらずとも、わたしが子供の頃にはまだまだ暖房の主役でした。炭団(たどん)の丸さをてのひらに感じたり、練炭の蓮根のような形状を見つめていたり、もう日常では目にしなくなっただけに、懐かしさがつのります。この句の炭は、棒状の木炭のようです。昨今は暖房だけではなく、浄化作用やら脱臭作用やらで、さまざまな用途にも使われていますが、やはりもとは、人をあたためるためにあったもの。使い道はあくまでもわかりやすく、わたしたちの生活にはなくてはならないものでした。また、この句を読んでいてはっと思ったのが、「炭もて炭をくだく」のところ。なるほどそのものを道具にしてそのものを割る、ということがあるのだなと、妙に感心してしまいます。炭と炭があたったときの甲高い音。どうってことのないことなのに、なぜかひどくひきつけられます。自身をくだき、くだかれる音から、しばらくは心がはなれられません。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


November 07112009

 初冬の徐々と来木々に人に町に

                           星野立子

きなり真冬の寒さかと思えば、駅まで足早に歩くと汗ばむほどの日もあり、季節の変わり目とはいえ、めまぐるしい一週間が過ぎて、今日立冬。その間に月は満ちたが、暁の空に浮かぶ満月はすでに透きとおった冬色だった。立子は、冬の気配が近づいてから立冬、初冬と過ぎてゆく十一月を特に好んだという。なつかしい匂いがする、とも。掲出句にあるように、いち早く黄葉して散る桜を初めとして、木々の色の移り変わりにまず冬を感じるのは、都会の街路樹でも同じだろう。落ち葉風にふかれ襟元を閉じて歩く人。そして町全体がだんだん冬めいてくることを、どこか楽しんでいるような作者。「初冬の徐々と来(く)」といったん切って、それから町がじんわり冬になっていく様を詠んでいるが、字余りで、一見盛りだくさんなようだけれど、リズムよく、「徐々」感が伝わってくる。この句に並んで〈柔かな夜につゝまれて初冬かな〉とある。なるほど好きな季節だったのだな、と思った。「立子四季集」(1974・東京美術)所載。(今井肖子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます