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2009ソスN10ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 31102009

 いゝぎりの実もて真赤な空ありぬ

                           飴山 実

桐(いいぎり)の実は秋季、来週はもう冬が立つ。そんな晩秋の一日、武蔵野市にある井の頭恩賜公園で吟行句会があった。武蔵野丘陵にある広い公園は、都心の芝離宮や小石川後楽園より少し冬に近い気がした。ざわざわと続く雑木林と散り敷く落ち葉、薄く黄葉したメタセコイヤの大木が続く先に、飯桐の木が一本。ひときわ赤い葡萄のような房状の、いかにも美味しそうな実を見上げながら、こんなに小鳥がいても残っているっていうのはあまり美味しくないのかしらね、などと言い合う。鮮やかな実はまさにたわわ、青空に映えていた。帰宅して掲出句を読み、ぱっと浮かんだのは空の青。飯桐の実がそこにあるから空が赤い、といっているだけなのだが、実の赤が広がっていればいるほど、その先の空は高く深く澄んでいる。見たままの風景をいったん心の中に刻んで、それらが語りかけてくる声に耳を澄ませながら、じっと言葉が生まれてくるのを待つ。そんなふうにして詠まれたのかもしれない、と思った。「新日本大歳時記 秋」(1999・講談社)所載。(今井肖子)


October 30102009

 集まりて老人ばかり子規祀る

                           深見けん二

人の平均年齢はなぜかくも高いのか。俳人は年寄りばかりで、年寄りになると「花鳥諷詠」が好きなると言って虚子門の人に叱られたことがある。老いて旧守に走るのを予定調和というのだろうか。花鳥諷詠が旧守だといえばまた異論はあることだろう。若い頃は前衛、老いて旧守。もしその逆があればそういう人間には興味が湧くのにと思う。同じ句集にこの句にならんで「新人と呼ばれし日あり獺祭忌」がある。こう詠まれると子規像が俄然青春の趣をもって迫ってくる。どの時代もそこに関わる人の志次第だとこれら二句が主張している。『蝶に会ふ』(2009)所収。(今井 聖)


October 29102009

 ブラジルは世界の田舎むかご飯

                           佐藤念腹

かごは自然薯のつるにつく小さな肉芽。指の先ほどの丸い実をご飯に炊き込むとむかご飯になる。虚子の「季寄せ」を何気なくめくっているうち、オリンピック開催で話題のブラジルとむかご飯との取り合わせに目がとまり、新鮮な驚きを感じた。新潟出身の念腹(ねんぷく)は1913年にブラジルへ移住した。戦前は長男が家督のすべてを継ぐ慣わしだったから農家の次男、三男は故郷を出て新天地を切り開くしかなかった。彼もまた大農家になることを夢見て「世界の田舎」であるブラジルへ人生を賭けて渡り、未開の原野を切り拓いていったのだろう。つましい食卓に出された芋はむかごなのか、むかごに似た現地の芋なのかはわからないが、ブラジルの「むかご飯」に日本への望郷の思いをかぶせている。彼の地で農業に俳句に力を尽くした念腹の地元新潟には掲句の句碑が建てられているそうだ。「虚子季寄せ」三省堂(1940)所載。(三宅やよい)




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