戦後こんなにも期待される政権ははじめてだろう。どう捌くのか。(哲




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September 0292009

 稲妻や白き茶わんに白き飯

                           吉川英治

がみのる肝腎な時季に多いのが稲妻(稲光)である。「稲の夫(つま)」の意だと言われる。稲妻がまさか稲をみのらせるわけではあるまいが、雷が多い年は豊作だとも言われる。科学的根拠があるかどうかは詳らかにしない。しかし、稲妻・稲光・雷・雷鳴……これらは一般的に好かれるものではないが、地上では逃がれようがない。稲妻を色彩にたとえるならば、光だからやはり白だろうか。その白と茶わんの白、飯の白が執拗に三つ重ねになっている。しかも、そこには鋭い光の動きも加わっている。中七・下五にはあえて特別な技巧はなく、ありのままの描写だが、むしろ「白」のもつ飾らないありのままの輝きがパワーを発揮している。外では稲妻が盛んに走っているのかもしれないが、食卓では白い茶わんに白いご飯をよそってただ黙々と食べるだけ、という時間がそこにある。ようやく「白き飯」にありつけた戦後の一光景、とまで読みこむ必要はあるまい。特別に何事か構えることなく、しっかり詠いきっている句である。橋本多佳子のかの「いなびかり北よりすれば北を見る」は、あまりにもよく知られているけれど、永井荷風には「稲妻や世をすねて住む竹の奥」という、いかにもと納得できる句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 0192009

 野の花を野にあるやうに挿しにけり

                           杉阪大和

月の声を聞くと、肌に触れる空気にはっきりと秋の存在を感じるようになる。掲句の季題「野の花」は、歳時記「秋草」の傍題に置かれる。同じようではあるが「草の花」よりずっと控えめな、花ともいえぬ花であるような印象を受ける。茶の世界では、千利休の残した七則に「花は野にあるように」と心得があるが、掲句はその教えに沿って茶室に茶花を飾ったということではなく、おそらく野にある花を摘んできてしまった、わずかな後悔がさせた行為であろう。都会のなかで、あらためて手のなかに見る花の姿に、はっとしたのではないか。手折った花へのせめてもの償いとして、野に咲いていた可憐なおもむきを残すように挿しおいた、という作者の純情が静かな寂しさとともに立ち表れてくる。そして、利休の考えた茶室に再現させる自然の景のなかにも、作者が感じた申し訳なさという思いが込められてこそ、「侘び」の心が生まれるのかもしれない、と今さらながら気づいたのだった。『遠蛙』(2009)所収。(土肥あき子)


August 3182009

 ひらがなの国に帰りて夕芒

                           佐藤清美

集でこの句の前に置かれた「西安のビールは甘きひつじみず」などから推して、中国旅行から戻ったときの句だと思われる。私のささやかな海外旅行体験からすると、どこの国に出かけても言葉には難渋するが、いままでいちばんストレスを覚えたのは中国と韓国でだった。理由は単純。お互いなんとなく顔が似ているせいで、つい楽にコミュニケーションができそうに錯覚してしまうからである。ましてや中国は漢字の国だ。街の看板やイルミネーションなどでも、おおかた察しのつくものが多い。だから余計にコミュニケートしやすいと思いがちになる。ところが、どっこい。他の外国でと同じように、なかなか意思疎通ができないので、イライラばかりが募ってしまう。三十数年昔にギリシャに行ったことがあって、街のサインなど一文字も読めなくて苦労したけれど、しかしさほどストレスは覚えなかった。はじめから周囲の人々がまったくの異人種なので、言葉が通じなくても当たり前と早々に覚悟が決まってしまうからだろう。作者も漢字の国を旅行中に、おそらく相当のストレスを感じ続けていたのではあるまいか。そのストレスが「ひらがなの国」に戻ってほどけた安堵の心が、よくにじみ出ている。風にそよぐ「夕芒」のたおやかな風姿は、まさに「ひらがな」そのものなのである。『月磨きの少年』(2009)所収。(清水哲男)




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