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August 2382009

 あかえひの尾になる町は鶉かな

                           水間沾徳

かえひは、魚へんに噴の口のない字を書きますが、あいにくここでは表示できません。エイというのですから、扁平、幅広、菱形の、あの独特な形をした魚なのでしょう。その姿を見るにつけ、生き物というのはよくもまあ、可能な限りいろんな形になったものかなと、自分の形を棚に上げて、思いもするわけです。この句に惹かれたのは、「尾になる町」のところでした。『日本名句集成』には、「エイの尾のような町外れになると、深草が繁茂して鶉(うづら)が鳴く」という解説があります。では、「エイの尾のような」というのはどのようなものかと読んでゆくと、「一本道しかない郊外のこと」とあります。つまり郊外の小さな道の、ひなびた様子を、鶉の鳴き声とともに感慨深く詠っているのです。なるほどエイの尾というのは、鞭のように長く一本伸びているのだなと、形状は理解するものの、あれを郊外の一本道に例える想像力に、江戸期の俳人の、今とは違った発想の仕方に驚かされます。とはいうものの、自然の生き物が今よりも身近にうごめいていた当時にあっては、この比喩はそれほどの驚きではなかったのかもしれません。時とともに、句の読まれ方は変わってゆくのは当然のことですが、まさか沾徳(せんとく)も、自分の句が将来PCで、こんな解説が書かれるようになるとは思ってもいなかったでしょう。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)




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